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気候変動と科学と社会

〈論文メモ〉Edwards(2012)Entangled histories: Climate science and nuclear weapons research

  • Paul N. Edwards (2012) Entangled histories: Climate science and nuclear weapons research. Bulletin of the Atomic Scientists, vol. 68 no. 4: 28-40
The benefits of fallout monitoring
Natural and artificial radiocarbon
Weather forecasting and climate modeling
Climatic consequences of nuclear war
The national laboratories and post-Cold War climate research
 
著者は数値予報や気候モデルなどの科学史の専門家で、"A Vast Machine"という著書がある。この短い論文は、気候研究と核兵器研究の関係についての歴史に焦点を当てたものだが、内容的には"A Vast Machineの8章の内容の一部をすこし発展させたものともいえる。
ここでいう「気候科学 Climate Science」は、必ずしも最初から気候の解明を目的にした研究活動を指しているわけではなく、のちに、気候変動に関する研究およびそのもとになったとみなされるものの集合くらいの意味だと思う。具体的に取り上げられている「気候科学」研究は、炭素循環の研究、気候モデル開発、温室効果気体とエアロゾルの気候影響研究、「核の冬」論争であり、いずれも(人為)気候変動の科学の歴史のなかで大事なものである。
 
・放射性降下物モニタリングと炭素循環研究
冷戦期、50年代から60年代前半にかけて、大気圏内核実験が行われた。核爆弾の爆発に伴って、放射性降下物(フォールアウト)が生じる。放射性降下物の環境への影響や健康被害を知るため、米国では放射性降下物のモニタリングを配備し、ネットワークを立ち上げた。放射性降下物のモニタリングにはもうひとつ、他国の秘匿された核実験を検知するという目的もあった。放射性降下物の環境影響のよく知られた例は、コダック社が被った事件である。トリニティ実験のすぐ後に、ニューメキシコのトウモロコシ畑に放射性降下物が沈着し、梱包材としてそのトウモロコシの皮をつかっていたコダック社のフィルムが皮の放射性物質による被害を受けた*1。放射性降下物による人的被害の顕著な例はビキニ環礁で行われたブラボー実験だ。事前の予測を上回る威力と気象条件もあって、マーシャル諸島の住民や日本の漁獲船第五福竜丸の船員が放射性降下物の被害を受けてしまった。これらの事件を受けて、米国や英国、世界気象機関は大規模にモニタリング・ネットワークを拡張した。
 
核実験由来の放射性物質に、放射性炭素がある。高高度でなされた大規模な核実験は、多量の放射性炭素を成層圏に注入した。核実験に携わっていた核物理学者たちは、高高度観測気球を上げて、成層圏中の二酸化炭素、放射性炭素、トリチウムを採取し、放射性炭素の分布を調べた。この結果は、それまでほとんど知られていなかった成層圏の大気循環に関する知識をもたらした。さらに、成層圏中の二酸化炭素濃度が高度によらず一定の値をとることがわかった。これは、大気中の二酸化炭素がつねにすみやかに混合されていることを意味しており、グローバルな二酸化炭素濃度を効果的に測定するには数カ所での測定で十分であることがわかった。
放射性炭素自体は、天然由来で存在し、大気上空でつねに一定の割合で宇宙線により生成されている。この天然放射性炭素の研究は第2次大戦以前からなされていた。1950年までにWillard Libbyらは天然放射性炭素のグローバルな分布を推定した。Libbyの研究を学んだHans Suessは、化石燃料中では放射性炭素の存在比がかなり小さいことを確かめ、放射性炭素存在比を使って海洋の二酸化炭素吸収速度を見積もることを思いついた。SuessはRoger Revelleとともに研究し、海洋が化石燃料の使用で放出される二酸化炭素の80%しか吸収していないと結論付けた。これは、Guy Callendarが指摘した化石燃料の使用にともなって大気中の二酸化炭素濃度が上昇していることの理由だと考えられ、炭素循環研究の高まりに先鞭をつけた。
 
 
・核爆発の流体力学研究と気候モデル開発
核実験プロジェクトと気候モデル開発にはさまざまな関係があった。核爆発の際の流体力学方程式を解く必要があり、そのための数値モデルの開発がなされた。これに使われる手法は気象学の数値モデルに用いられるものとかなりにていた。フォン・ノイマンは新しい電子コンピュータの応用先として、気象の予測を選んだ。ノイマンは気象予報の研究でコンピュータの非軍事的な価値をアピールしようとした。しかし、正確な気象予報はまた、気象条件の予測や放射性プリュームの動きを知るために核実験立案の際に欠かせない情報でもあった。実際、最初期の気候モデルの開発者のうちのひとりは、マンハッタン計画で核爆発の流体力学研究に関わった数学者で、爆発の流体力学モデルと気候モデルの開発者はしばしば共通の教科書を使っていた。
 
 
エアロゾルの気候影響評価と「核の冬」
1950年代、核爆発にともなう副生成物が異常気象と関係しているのではないかという懸念が市民の間にあった。1963年の部分的核実験禁止条約の締結後、ひとびとの関心は下火になり、以後10年以上顧みられなかった。1970年代になって、米国を中心に、大規模な気候影響アセスメントプロジェクトが始まった。これは、超音速旅客機の導入によるオゾン層破壊や気候への影響に関する関心が高まったためで、SSTの排気による影響のほかに、火山噴火、人為由来エアロゾルスペースシャトルの排気、二酸化炭素、そして核爆発も研究の範疇に含められた。
70年代初めには、大気中のエアロゾルの寒冷化効果が温室効果ガスの影響よりも大きいという研究結果が出された。*2
 
1980年代初め、Luis Alvarezは世界各地の6500万年前の地層に濃度の高いイリジウムが含まれていることを見つけ、隕石による大規模な気候の変化が生物の大量絶滅の理由であるという仮説を提唱した。Alvarezらの研究や火山噴火の気候影響などの研究に刺激を受け、Paul Crutzenらは1982年に「核戦争後の大気」という本を出した。彼らのモデルによると、核戦争は、巨大隕石がもたらしたような大規模な気候変化と甚大な環境影響を及ぼす。これに続き、何人かの研究者が「核の冬」についての研究を発表した。ある研究者は、より洗練されたモデルに基けば、核戦争による気候への影響はそれまで予測されていたほどではなく、「核の秋」くらいだと主張し、一種の科学論争が起こった。
 
〈コメント〉
取り上げられている歴史的事実は、たしかに気候科学と核兵器研究とのつながりを示しているが、それほど直接的な関わりとはいえず、どれも間接的なものにすぎないような気もする(名前を挙げられた研究者の多くは核関係の研究に従事した経験があり、また、軍からの研究資金をもとにしたプロジェクトとしての研究も少なくなかったようなので、関わりはあるのだろうけど、言うほどか?という感じがした)。
わたしの関心はいまのところあまり気候モデルのほうにはなく、生物地球化学のほうにあるので、フォールアウトのモニタリング・ネットワークの歴史はもうすこし詳しく知りたい。とくにこれらの知見が核物理界隈外の分野、たとえば地球化学のなかとかでどのくらい共有されていたのだろうか。Vast Machineの当該部分のメモもそのうち載せます。
 
 

*1:関連する話がTwitterのまとめになっていました:Kodak社と核実験 - Togetterまとめ

Twitterまとめの元記事:Not-so-secret atomic tests: Why the photographic film industry knew what the American public didn’t 

*2:のちの研究では、正味で温室効果ガスによる影響のほうが大きいという結論で落ち着いた。