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気候変動と科学と社会

〈論文メモ〉Heymann(2009)Climate science – how did it come about?

  •  Matthias Heymann, 2009, Climate science – how did it come about?. in Mickey Gjerris, Christian Gamborg, Jørgen E. Olesen, Jakob Wolf (eds.), Earth on fire―Climate change from a philosophical and ethical perspective, pp.55-67.
〈註〉この文献は著者の名前を別件*1で知って業績をネットで調べているうちに行き当たったのですが、著者のHeymannさんの個人ウェブページ*2の業績欄を見ても見つけられませんでした。webをいろいろ探してみた結果、どうやら‘Earth on fire: Climate change from a philosophical and ethical perspective’という書籍の第3章であることがわかりました。この本は2009年にデンマークで出版されたものの英訳版で、オンライン版はオープンアクセスだそうです。アドレスを以下に載せておきます。この章に限らず、すべての章をpdfで読むことができます。

 

1. Intro
2. Features of classical climatology
3. Technological change and conceptual shift
4. The rise of climate change research
 
〈私の要約〉

二酸化炭素をはじめとする温室効果ガスによる人為的な気候変動の可能性については、19世紀末にアレニウスによって指摘されていた。また、1930年代にはカレンダーによって1920-1940年代における気温の上昇が報告され、その原因として温室効果ガス濃度の増加が指摘された。今日的な観点から見れば、これらの指摘は正しかった。しかし、当時の主流の気候の科学者はいずれも彼らの指摘を重要視しなかった。結局、科学コミュニティが温室効果ガスと気候変動についたの認識を転換したのは1965年のことであるし、気候変動と気候変動の科学が国際政治の問題になったのは1980年代だった。ではなぜ、科学者はアレニウスの時代に、あるいはカレンダーの時代にはそのような認識を持たなかったのか。1896年あるいは1930年代と1965年の間に科学コミュニティになにが起こったのか。それはどうしてで、いつ起こったのか。人為的な気候変動が政治の問題になったのが1980年代だったのはなぜだろうか。

著者は第1の問いの答えとして、科学による気候の概念と方法論の変遷を示唆する。著者は気候学を「古典気候学」と「現代気候学」に分ける。前者はアレクサンダー・フォン・フンボルトによる気候の定義なら始まる気候学の伝統で、彼によれば、気候は特定の場所と結びついていて、場所固有の異なる気候が存在するが、時間的には安定である大気現象の状態とみなされる。すなわち、古典気候学においては、気候は地理学的な特性をもち、時間に対して安定であり、気候学は場所固有の気象データを収集し、解析することで、その地理的条件に固有の気候の特徴を記述しようとしていた。一方、著者は古典気候学と対置させるかたちで、「現代気候学」という概念を提示する。現代気候学においては、気候とは異なる地球システムにより構成されたグローバルな状態であり、時間的に動的である。現代気候学では気候を物理法則に基づいて数学的に記述し計算により気候を理解することを試みる。

以上より、著者によると、気候学の歴史には、古典気候学と現代気候学という異なる気候の捉え方・方法論が存在し、これらの差異を明示すると次の三つになる。すなわち、(1)ある特定の場所固有の状態としての気候からグローバルな地球システムにより構成される気候への認識の変化。および、(2)時間的に安定な気候から、時間的に動的な気候への認識の変化。そして、(3)記述的な気候学から物理科学としての気候学への方法論の変化。 

気候学の研究対象は歴史的に拡張されていく。より広くより多くのデータを集めるため、気候学は2次元的な拡張を目指し、フォン・ハンやケッペンは地球全体の気候分布を調べる仕事をした。その後気候学の対象は高層大気の観測へと向かった。著者はこれを大気の「第三次元の発見」と呼ぶ。初期は高層大気の観測は高所の観測所やバルーン、カイトなどによるものが主だったが、これらで得られるデータはかなり限られていた。高層大気に関する膨大なデータの取得を可能にしたのは20世紀初頭以降の飛行技術の著しい進歩だった。飛行機の開発は、飛行機による高層観測を可能にしただけではなく、軍事的・商業的理由から高層大気の詳細な情報の需要にもなった。 19世紀後半、気候学者は気候学を記述科学から物理科学を基にした学問へ転換しようと苦闘していた。物理科学を自認する気象学でさえ、物理科学としての体系を得ることは難航していた。ビヤークネスはいくつかのパラメータと方程式を用いることで、大気現象を数学的に表現することを試み、気象学を物理科学として強固にすることに成功した。気候学者も、気候学をこのような数理科学的な基礎に基づいた科学へ志向し、ここにそれまでの「古典気候学」と新たな気候学との統合が試みられた。しかしながら、著者によれば、この試みは失敗した。ゆえに気候学には地理学的な記述科学としての気候の捉え方と、物理科学的な気候の捉え方のふたつの概念が存在することになった。結局、地理学的な気候への認識は衰退していくことになる。

物理科学としての気象学が試みたのは方程式を解くことで将来の大気現象を予測すること、つまり数学的な気象予報だった。グラフィカルな手法を用いてこの問題に取り組もうとしたビヤークネスらベルゲン学派は結局、気象予報を実現できなかった。一方、イギリスのリチャードソンは近似的な数値解を計算で求めることでこの問題にアプローチした。結果的には失敗であったが、この試みはのちに電子計算機の発明と技術的進歩によりついに実現することになる。フォン・ノイマンのグループによって開発されたコンピュータの気象モデルは気象業務に応用され、気象予報の精度の向上が腹られるようになっていく一方で、ノーマン・フリップスは気象モデルを改造し、より長期間先の大気の状態―つまり長期的な気象と気候の状態を計算しようとした。このモデルはのちに大循環モデルGCMと呼ばれ、気候研究のための中心的なツールとなった。GCMという実験装置を用いることで、気候学は気候の長期的な変動について研究できるようになった。気候変動の原因に関するモデル研究は次第に大気圏だけでなく水圏や生物圏などを含む、地球システムという考え方によって、より包括的な学問領域として進展していった。

 

〈感想〉

 もともと、私がこの論文の著者を知るきっかけになった別の人の論では、著者が書いた別の文献を引用して、「古典気候学」と「現代気候学」を定義しているひととして紹介されていました。たしかにこの論文でも「古典気候学」と「現代気候学」という言葉が使われますが、著者による独自の使い方であるのかまではわかりません。しかし、古典気候学/それ以後、という語り分けは著者の気候科学史観のポイントのようです。
 最初のイントロで、著者はまず1980年代の話を出してきて、どうして気候科学がこの時期に政治の世界に現れるようになったのか、という問いを設定していますが、それへの答えは直接的には提示されていません。というか、気候科学と政治とのかかわり、気候科学の政治化、についてはさらりと述べられているだけで歴史的に触れられてもいません。その点では、私個人としてはすこし残念でした。また、1965年の会議を気候に関わる科学者の認識の転換点と位置付けていますが、この会議自体に転換点としての意味があるのかについてなにも答えていません。というか、この後、1965年の会議の話は出てきません。著者の論点はむしろ、1940年代と1965年の間に気候科学のコミュニティのなかで気候変動の認識においてなにが起こったのか、それはなぜか、という点のようです。が、私としては会議のことも気になってしまいました。気候科学の歴史に関して、たとえばワートさんはより社会とのかかわりにも目を向けて歴史を書いていると思います。この点で社会の側に着目するというコンセプトがより明確なのはエドワーズさんの研究だと思います。科学コミュニティのなかの話に特化するならば、より厚い記述が必要になるでしょう。とはいえ、これは総説のようなものですからある程度仕方ない気もしますが。
 気候学の通史のサマリーとしては勉強になるところが多かったです。ギリシャまでさかのぼって気候について語っている文献をこれまで読んだことがなかったですし。また、著者のいうところの「古典気候学」者については、実際フンボルトとケッペンの名前くらいしか知らなかったので勉強になりました。ビヤークネス以前の気象学者が物理科学化にむけて苦闘していた点は、やはり気象学にもそんな時代があったんだなあと感慨深いものでした。これはだいたい19世紀後半くらいのことでしょうか。ちなみに私の専攻する化学も苦難の時代は長く、どこで読んだか忘れましたが、哲学者カントは当時の化学を博物学的な愚鈍な学問と評していたそうです。古典気候学も、博物学の流れをくむところがあったような気もします。実際、フンボルトはそうだったのでしょう。物理学を筆頭とする経験数理科学を王として博物学のような記述科学を下に見る物理学帝国主義的な風潮が垣間見られて趣深いです。
 先に挙げたワートさんの著書では、いわゆる「気候変動の科学」の歴史を主としていると思います。これは気候変動科学をそれ自体としてある程度独立に描く戦略をとっているということです。私は、気候学、気候科学、気候変動の科学は大部分が重なり合いながらも微妙にニュアンスの異なる領域だと最近考えていて、Heymannさんのようにこれらを連続的に、あるいは比較してどう切り分けるのか、という点を歴史的観点から考えることも有効な戦略であると思っています。
 この点でひとつ気になったのは、著者は本文中、唐突に気候学(climatology)に加えて気候科学(climate science)という言葉を新たに使っていますが、この「気候科学」がなにを意味しているかについての説明や定義はありません。私としては、というか、この論文の論点は、まさに気候学から気候科学の変遷であったはずなので、かなりの違和感を覚えました。まさにそこを言いたかったんちゃうんかい、と。
まあおそらくは研究分野が従来の気候学(つまり、おもに大気圏)によってのみ行われていたものから、生物圏や氷雪圏や水圏や地圏など、ほかの地球システムの要素を組み合わせて研究する分野に変わったことを受けて、より包括的な気候科学という学問になったのだということを言いたいのだと思います。たぶん。
 
 
[関連する文献のメモ]

*1:Sebastian Grevsmühl, 2014, The Creation of Global Imaginaries: The Antarctic Ozone Hole and the Isoline Tradition in the Atmospheric Sciences, in Birgit Schneider and Thomas Nocke (eds.), Image Politics of Climate Change, Transcript Verlag, pp.29-53  以前紹介したこの論文で紹介されていました。HeymannさんはデンマークのAarhus大学で大気科学や気候科学の歴史を研究している方だそうです。

*2:Aarhus大学のHeymannさんのページ。http://pure.au.dk/portal/en/matthias.heymann@css.au.dk  改めて業績欄を見てみると原版であるデンマーク語版としてちゃんと載っていました。