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気候変動と科学と社会

〈論文メモ〉Robin et al.(2014)Three galleries of the Anthropocene

  • Libby Robin, Dag Avango, Luke Keogh, Nina Möllers, Bernd Scherer, and Helmuth Trischler (2014) Three galleries of the Anthropocene. The Anthropocene Review 1: 207-224. doi:10.1177/2053019614550533

 

The Anthropocene at the Deutsches Museum, Munich
  Background
  The philosopy of ‘Welcome to the Anthropocene’
  Practicalities
The Anthropocene Project of the Haus der Kulturen der Welt
  Background and philosophy
  The Anthropocene Posters
The Anthropocene in situ: Pyramiden, industrial heritage and the new tourism of climate change
  Historical background
Reflections: The implications of the Anthropocene for cultural institutions

 

人新世[the Anthropocene]は、地質年代に関する比較的最近作られた概念で、人類による地球全体の生態系への影響が顕著になったことに特徴付けられる時代の区分である。2000年代初めに大気化学者Paul Crutzenによって広く知られるようになったが、もともとは1980年代に生物学者Eugene F. Stoermerによって作られた言葉らしい*1 。この論文が掲載された'The Anthropocene Review'という学術誌も、(そのまんまの名前だが、)人新世に関連する話題を中心的なものとする方針の学術誌として、2014年に創刊されたそうだ。ぼくは先日某出版社からの広告メールで初めてこの雑誌の存在を知った。

この論文は、人新世をテーマに文化機関が実施した(している)3つの展示の取り組みを紹介したものだ。紹介されているのは、ドイツ・ミュンヘンにあるドイツ博物館による展示『人新世へようこそ:手のひらの上の地球』、おなじくドイツの世界文化の家・美術館による街路上でのポスター展示、そしてノルウェースヴァールバル諸島の町Pyramidenの風景「展示」である。著者たちはそれぞれの文化機関に所属する研究者である。

 

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時代の変化の中で、ミュージアムの果たす役割も変化する。さまざまなローカルコミュニティの中で、ミュージアムは未来の地球について人々が個人的内省をおこなうための場所になりつつある。この世界の物質性[materiality]に焦点を当てるミュージアムは、抽象的になりがちな環境問題の議論の助けになることができるかもしれない。モノは言葉を超えて人々に直接訴えかける力を持つからだ。

 

・ドイツ博物館『人新世へようこそ:私たちの手のひらの上の地球』

ドイツ博物館は科学技術を扱う世界最大級のミュージアムであり、またレイチェル・カーソン研究センター[the Rachel Carson Center for Environment and Society](RCC)を擁する学術機関である。RCCは地球環境問題を扱う国際的な研究所で、アカデミックな研究における先導的な機関であるが、市民へのアウトリーチもそのミッションである。今回の展示はRCCの協力のもとに行われた。

今回の展示を貫く哲学は、人新世という概念と深く関係している。それは人新世にあっては科学技術的基礎に基づくだけでなく、文化的な多様性を尊重するアプローチが重要であるという考え方であり、また、文化と自然とは切り離して考えられるべきではなく、相互に依存した存在であるという認識である。

キュレーターは観客が人新世についてすでに知っていることを調べるため、事前調査を行った。2012年に100人以上のパトロンにインタビューを実施した。回答者の80%がミュージアムは「論争的なトピック」に関わるべきという考えに賛同した一方で、86%の人が人新世について耳にしたことはないと答えた。これらの結果を受けて、展示は訪れた人が能動的に関与できるようにオープンエンドなフォーマットのもとにつくられた。

展示は2014年12月5日から一般公開されている。この展示の目標のひとつは、地球の物理的変化の駆動源として人間を考察する、「人新世」という概念を訪れた人に伝えることである。展示は1450 m2にわたり、3つのセクションで構成される。最初のセクションでは、地質学的な仮説と新しい概念枠組みの両方としての人新世へ包括的な導入を行う。1800年代後半からの産業化の時代と、1950年代からのGreat Acclerationの時代を強調する技術に関するモノが多く展示されている。次のセクションは、都市化、流動性、食物、進化、人間-機械相互作用、「自然」の6つのテーマエリアからなる。最後のセッションでは、人新世における未来について扱っている。訪れた人々はそれぞれに未来の可能性についてのシナリオを考え、人々が考えるシナリオを、ペーパーフラワーが広がる場所に最後に活けられるようになっている。

 

・世界文化の家・美術館の人新世ポスタープロジェクト

世界文化の家[The Haus der Kulturen der Welt](HKW)はベルリンの中心部に建つ、芸術と文化的生産のための場所だ。アートと学術研究の交点における知識生産の新しい形を生み出している。HKWもまた、プロジェクトにあたってドイツ博物館が行ったような調査を行い、似た結果を得た。HKWで人新世プロジェクトが立ち上げられた2013年の時点では、人新世という概念はベルリンであまり認知されていなかった。HKWは一般市民にとってこの概念をよりアクセスしやすく、より関連性の深いものにしようと試み、参加的なレスポンスが得られるような工夫をもとめた。

HKWもドイツ博物館も、訪れる人々に情報を与えることよりは、彼らのレスポンスを促すことに焦点を置いているといっていい。このふたつの機関は各々のプロジェクトの幾つかの部分で協働した。どちらも、科学、技術、そしてアートの新しいハイブリッドのかたちに関心を持っていた。しかしながら、HKWのギャラリーは、ドイツ博物館とはずいぶん違っている。HKWが採用した人新世ポスターのギャラリーは、リフレクシビティの原理に基づき、ギャラリーをベルリンの街路に展示することで忙しい公共空間の不安や疎外感を乗り越えようという試みだった。

人新世の主題が、相互につながった世界における思想や行動の新しい理解を達成するためのヒューリスティックな手段であるのなら、美的な選択はその要である。人新世ポスターギャラリーには、顔を合成した美的なマスクのイメージと人新世のコンセプト性を強める質問が描かれたポスターが並ぶ。街路の日常空間の中に置かれたポスターの美とは、テキスト、イメージ、そして日常生活のコンテキストのコンビネーションなのである。したがって、このギャラリーは公的な都市空間のなかに置かれる必要があった。そこは人間による介入の中心にほかならないからだ。

 

・Pyramiden:人新世の現場、産業遺産と気候変動の新しいツーリズム

北極圏の高緯度では、1℃の地球温暖化は温暖な緯度域よりも大規模で素早い変化をもたらす。「極地効果」は気候変動ツーリズムを刺激し、ひとびとを「融ける前」に氷河や人間から隔離された極限環境を見ようという気にさせる。北極評議会の国々は、北極の気候変動を緩和したいと望み、環境を保護し、気候科学を支援している。しかし同時に、この地域の資源と統治に関する伝統的な利益を守ることを望んでもいる。3つ目の人新世'ギャラリー'は、ミュージアムの塀の外にある。Pyramidenは、スヴァールバル諸島スピッツベルゲンの炭鉱町であり、近年、気候変動科学と極地観光のために改装された。Pyramidenにはまさに人新世の風景が広がる。そこでは、炭鉱町を産業遺産区に変えることによって、ロシアとノルウェーのアクターが互いに相反するようにみえる政策目標を存立させている。

Pyranidenという町はスウェーデンの企業によって最初につくられ、1910年には2,3の小屋が建っているくらいだった。もともとの計画では、スウェーデンの鉄鋼業への石炭供給用の炭鉱町を作る予定だったが、けっきょくこの時に炭鉱町が築かれることはなかった。1920年ノルウェーは条約によってスヴァールバル全土の統治権を得た。その後、世界経済が収縮し、不況のために、Pyranidenを開いた企業を含め、ほとんどの企業はスヴァルバールを去った。小屋は捨てられた。

それから状況が変わり、エネルギー採掘は国家的プロジェクトになった。この時期、ノルウェーソ連はそれぞれにいくつもの炭鉱町を運営した。そのうちのひとつがPyramidenであり、ソ連は1927年にその所有権をスウェーデンの所有者から買った。1930年代初め、ソ連の企業Arktikugolは精巧な採掘装備を築き、すぐにPyramidenはスヴァールバルで最も栄える町になった。新しいオーナーは豪華で野心的な建築デザインを備えたきわめて高い水準の居住地とサービスをもたらした。1980年代までこれに比肩するものはなかった。Pyramidenはスヴァールバルへのソ連の強い意向の象徴だった。

ソビエト連邦の崩壊後、新たなロシア政府は異なるビジョンを持っていた。Pyramidenを放棄したのだ。Arktikugolは1998年に町を閉めた。その後数年間、生活のためのインフラはゆっくりと廃退し、町は融水と略奪の犠牲になった。このころには、スヴァールバルの炭鉱業に異議を持つノルウェー国民が多くなっていた。これは、採掘の採算が思わしくなくなり、環境保護というノルウェーの政策と環境配慮のリーダーとしての国際的地位から、採掘を正当化することが難しくなったためだった。2001年、ノルウェー政府は新しい環境法を制定し、スヴァールバルでの採掘を規制した。Arktikugolは炭鉱町の代替利用策を模索し始め、石炭採掘のための居住地を北極の観光、保護、科学のためのハブへと再開発することにした。

2010年あたりから、ロシア政府はPyramidenでの活動を再始動させた。スヴァールバル当局と協力して、注意深く居住地をリノベーションし、2013年の春、ホテルを再オープンした。ArktikugolはPyramidenを観光アトラクションと北極圏気候科学の国際拠点として再興し、ソ連時代のユニークな特徴を残す産業遺産として宣伝した。2013年の遺産コンサルタントのレポートに基づいて、行政府はPyramidenの一部を「文化遺産」として公表した。目的を異にしているとはいえ、居住地の再利用はノルウェーとロシア双方の政策決定者にとって都合のいいものだった。ソビエトの町は、ノルウェー法のもとで保護される産業遺産地区へと変貌を遂げたのである。

 

・まとめ

ミュージアムはもともと、収集のための「家」として考えられていた。収集の性質は時と共に変わり、「家」の概念もまた変わる。人新世の劇的な変化の中、ミュージアムギャラリーも新しい形態をとり始めている。コミュニティの要望は、さまざまな目的性に応じて、種々のミュージアムを生み出している。地球環境変動に関する議論を行う空間は他にもあるが、ヨーロッパ諸国は公共的でグローバルな問題に介入する文化機関への支援にますます力を入れている。人新世への3つのミュージアムの挑戦は、文化セクターが地球の未来についての公共的な議論にいかに関わるかということの例を提示している。

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〈コメント〉

ぼくは少し前から、地球環境(とくに気候変動)に関する科学とぼくらの社会や文化をつなぐ実践の一つの拠点として、ミュージアムの可能性に興味を持っている。科学コミュニケーションのよりよい実践とは何かということを自分なりに考えるために日本や海外の事例を勉強したいと思っている。この論文に興味を持ったのは、そういう理由と、最近人新世という概念について考える機会があったからだ。

せっかくなので、この論文で紹介されているうち、ドイツ博物館とスヴァールバルの歴史について少し補足しておきたい*2

ドイツ博物館は、世界最高の科学技術博物館の誉れ高いミュージアムだ。その歴史は科学技術博物館としては比較的新しく、アラン・フリードマンは、科学技術博物館の系譜のなかの第2世代に位置づけている*31906年に仮展示が開設されたが、正式開館は第1次大戦の影響で1925年までずれ込んでいる。ドイツ博物館に多大な影響を与えたのは、オスカル・フォン・ミラーという技術者だった。ミラーが博物館の創設を呼びかけた1903年当時、ドイツは産業革命がおこり、重化学工業が栄えていた。工業を国力増強の柱とし、その振興のためには国民への科学技術知識の普及が必要だと考えたのである。ミラーはまた、ドイツ技術を他国に顕示するシンボルとして巨大な博物館をつくることを考えた。技術博物館は、ドイツ帝国ナショナリズムを象徴するものでもあったのだった*4

ミラーによってつくられたドイツ博物館の顕著な特徴の一つは、その展示手法にある。教育的な側面を重視したミラーは、ただモノを展示室に並べておくだけでは、観客の興味を引き出すことはできないと考えた。そこで、現在では「タッチ・アンド・トライ」と呼ばれる参加型の展示手法を採用した。観客が自ら操作したり、内部が見ることができるように工夫された装置を置いたり、多くの説明用のパネルを置いたりした*5。これらの手法を取り入れたドイツ博物館は、のちの多くの科学技術博物館のモデルにされた。1937年に開館した大阪市立電気科学館もそのひとつで、当時の担当者がドイツに留学した際にドイツ博物館に感銘を受けたことが設立のきっかけとされている。大阪市立電気科学館は、国内で初めてプラネタリウムを導入したことで有名で、中之島にある現在の大阪市立科学館の前身である*6

さて、以上のように技術の博物館としての色彩の濃いドイツ博物館は、本来、技術による国家の発展を鼓舞するという使命を持っており、そのために科学技術の進歩を強調する展示ポリシーを抱いていた。このような進歩主義的技術史観は、現代の科学技術論的観点から見るとあまりに一面的であると批判の対象になるだろう。実際、博物館史上では、1970年代の米国におけるエクスターナリスト技術史学の興隆を受けて、それまでの技術史観を見直し、科学技術の社会史的アプローチが提唱された時期があり*7、その潮流はスミソニアンを中心に現在まで受け継がれ、世界中の科学技術博物館に少なからぬ影響を与えている。最近のドイツ博物館は、論文中で触れられているように、環境問題へ視野を広げている*8。この背景には、1980年代以降のドイツ国内での環境意識の大きな高まりもあるのではないかと思う。科学技術は人類の抱える多くの問題を解決する力になったが、他方で地球環境問題をはじめとして、新たな問題の原因を創りだしてきた。このような文脈から眺めれば、科学技術史を中心的な対象とするドイツ博物館が、人間による地球環境改変をひとつの時代と位置づける「人新世」概念を真正面から取り扱うことの意義の大きさが理解されることだろう。

 

次に、スヴァールバルの歴史についての補足。近年の気候変動の影響を強く受ける北極圏は、環境の変化とともに、国際政治上で大きな関心を持たれている。ノルウェー本土と北極点のちょうど真ん中あたりにあるスヴァールバル諸島も、そのユニークな歴史的経緯から国際法上の関心を集めてきたらしい。

論文中にもあるように、スヴァールバル諸島の統治権は1920年に締約されたスヴァールバル条約に基づき、ノルウェーが保持している。とはいえ、その権限は条約によって制限された実質的には管理権的なもので、国際法でいう通常の主権と完全におなじものではない。これは、スヴァールバルの特異な歴史に由来する。

スヴァールバルの特異さは、20世紀に入るまで、ヨーロッパ諸国がこの島嶼を自由に利用してきたにもかかわらず、どの国も積極的に統治権を主張しようとしなかったことにある。つまり、スヴァールバルは20世紀に入るまで、どの国の領域主権も及ばない土地であるというヨーロッパ諸国の共通了解があった*9。最も利害関係の大きな国はノルウェーだったが、ノルウェーにしてもわざわざ対立の火種になりかねない統治権の主張をすることに積極的な利益を感じなかったようだ。スヴァールバルに石炭資源が見つかった後もこの状況は続いていた。ところが島内での活動が増加するにつれ、犯罪や労働紛争などが増え、どの国にしても島内での共通の法秩序の必要性が痛感されるようになった。そこで領有帰属を決定するため、関係諸国の交渉のもと1920年スヴァールバル条約を締結し、ノルウェーに完全かつ絶対的な主権を承認した*10。関係諸国はその代りに、スヴァールバルへのアクセスや、各種活動に対する平等な権利が認められた。ノルウェーに統治権を与える一方で、各国のスヴァールバルにおける既得権益を保護するという妥協策をとったのである。ちなみにこの条約の原締約国9か国には日本も含まれている。これは当時日本が第1次大戦の講和会議で連合国側の主要メンバーだったためとされる。現実的には、この諸島の主要なアクターはノルウェーとロシア*11だった。

よく知られるように、このあと1960年代ごろに北極海で海底資源の存在が判明し、スヴァールバル諸島周辺の海域の重要性も増した。条約が締約されたのは1920年だが、国際海洋法は大陸棚制度や排他的経済水域など、当時は予見されなかった仕組みを発展させたため、この海域をめぐる国際法上の議論はいまだ続いているそうだ。さて、論文中にもあったように、2001年にノルウェースヴァールバル諸島に新しい環境法を適用して島内での採掘活動を制限したが、これが可能だったのは1920年当時としては珍しいことに、スヴァールバル条約が第2条2文で環境保護に関するノルウェーの責任を規定していたからだと思われる*12

北極圏は現在の気候変動の影響を大きく受けているとともに、ある意味では政治的にまた経済的に、気候変動を利用してもいる。Pyramidenは気候変動の影響を受けやすい北極圏にある、世界最北の炭鉱業遺産という、アイロニックな土地である。この「ギャラリー」がほかの2つと異なるのは、明確に商業主義的な側面がある点だ。極地観光産業もまた、人類の気候変動とのローカルな付き合い方のひとつの形態であるといえるだろう。機会があったら行ってみたいところの1つだ。ところで、現代のスピッツベルゲンはNy-Alesundをはじめとして極域気候科学研究の国際拠点としても利用されているそうだが、この辺りはそれ以前にも気候変動科学と縁がある。1950年代、現代の気候変動研究の黎明期に、北欧の気象学者のグループは極地における温室効果ガスの研究を行っていて、スピッツベルゲンも観測地の1つだったのだ。マウナロアでの二酸化炭素精密測定で有名なDavid Keelingと北欧グループのリーダーC-G. Rossbyとのあいだで、スピッツベルゲンCO2の長期観測地にしようという話もあったらしい*13。歴史的にもおもしろい因縁を持つ土地だと思う。

 

人類ははるか昔から技術によって環境を改変することで発展してきたわけだが、ある時期から技術と科学は密な関わりを持って発達をつづけ、人類の科学技術は地球全体の環境に有意な影響を与える規模になった。しかしよくよく考えれば興味深いことに、人間活動が地球環境に有意な影響を及ぼしているという確実な知識に基づく認識もまた、大規模な科学技術(=インフラストラクチュアに基づく地球科学)の発展の「成果」である。つまり、人新世という"学術的概念"はそれ自体、科学技術のアンビバレントな特性を示しているのだ。いっぽうで、このような概念を科学技術的認識にのみ基づいて考えることの視野狭窄さもまた、近年広く認識されている*14。人文知・芸術を担うアクターとの協力が重要視されている中で、その結節点としてミュージアムの役割はますます注目されるだろう*15。とはいえ、ミュージアムの置かれている社会的状況は日本に限らずともかなり厳しい。科学技術博物館は、科学知・技術知という人類の普遍的な知識を扱う空間であるが、ドイツ博物館の歴史からもわかるように、同時にきわめてローカルな特性を持つ空間でもある。ミュージアムは地域との関係性を重視してきており、逆に言えば、地域で暮らすぼくたち市民も地域のミュージアムに関して公共的な責任を負っているといえるだろう。

 

・参考文献

ラン・フリードマン (著), 大髙 一雄 (訳) (2011) 科学博物館の進化. パリティ 26(8): 12-21.  [Alan J. Friedman (2010) The evolution of the science museum. Physics Today 63(10): 45-51.]

奥脇 直也 (2013)(補論)スヴァールバル諸島(スピッツベルゲン)をめぐる領有紛争の歴史的経緯. 奥脇 直也, 城山 英明 (編著) 『北極海のガバナンス』, 東信堂, pp.169-192.

ジャスティン・ディロン, マリー・ホブソン (著) 西森 年寿 (訳)  (2013; 2015) 地球規模の気候変動を伝える――論点とジレンマ――. ジョン・K・ギルバート, スーザン・ストックルマイヤー (編著), 小川 義和, 加納 圭, 常見 俊直 (監訳)『現代の事例から学ぶサイエンスコミュニケーション:科学技術と社会とのかかわり,その課題とジレンマ』, 慶應技術大学出版会, pp. 212-226.

高橋 雄造 (2008) 『博物館の歴史』, 法政大学出版局, 538 pp.

森田 敦郎 (2015) 陸と海からなる機械――気候変動の時代におけるコスモロジーとテクノロジー. 檜垣 立哉 (編著)『バイオサイエンス時代から考える人間の未来』, 勁草書房, pp. 27-52.

Maria Bohn (2011) Concentrating on CO2: The Scandinavian and Arctic Measurements. Osiris 26(1): 165-179.

 

[関連する文献のメモ]


*1:Crutzenによれば、彼が最初に人新世という言葉を使ったときにはStoermerのことを知らず、まったく独立にこの概念に至ったという。ドイツ博物館の展示を紹介するウェブページには、Paul Crutzenのインタビュー記事がある。

http://www.environmentandsociety.org/exhibitions/anthropocene/huge-variety-possibilities-interview-nobel-laureate-paul-crutzen-his-life

*2:以下、ドイツ博物館の歴史に関する記述は高橋雄造 著 (2008)『博物館の歴史』を、スヴァールバルの歴史については奥脇直也・城山英明 編著 (2013)『北極海のガバナンス』を、それぞれ参考にしている。

*3:フリードマン(2011) p.14-15  フリードマンは科学技術博物館を3つの世代に分ける。第1世代は資料の保存と収集を使命とする伝統的なミュージアム。第2世代では、それに加え、市民の科学的知識の増進を目的とする。第3世代は、公教育を主目的として打ち出した科学館[science center]と呼ばれる新しいタイプのミュージアム。

*4:高橋(2008) p.309

*5:高橋 (2008) p.313

*6:高橋 (2008) p.333

*7:高橋 (2008) pp.374-375

*8:論文の記述によれば、ドイツ博物館はリオサミットが開催された1992年にEnvironmentという常設展示をオープンした。2002年には、IPCCの報告書を受けた世論の高まりを背景に、気候の科学的認識に重きを置いた特別展Climate: The Experiment with the Planet Earthを開催している。Roger Revelleの有名な言い回しから取ったのだろうか?

*9:奥脇 (2013) p.180

*10:奥脇 (2013) p.169

*11:ロシアはスヴァールバル条約の交渉会議に呼ばれなかった。したがってロシアは原締約国ではない。これは社会主義革命後のロシアをヨーロッパ諸国が未承認だったため。奥脇(2013) p.175

*12:奥脇 (2013) p.189

*13:Born (2011) p.117

*14:日本ではあまり市民権を得ていないような感覚のある「人新世」だが、西洋諸国での関心は高いらしい。これに関連して、人新世という概念の含意を文化人類学的視点から考察したおもしろい論考として、森田(2015)がある。

*15:科学コミュニケーションの実践の場としてのミュージアムについての考察は、STSにおいて研究の蓄積がある。気候変動問題に関する科学博物館の取り組みを紹介したものとして、ディロン&ホブソン(2013; 2015)がある。