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気候変動と科学と社会

〈論文メモ〉Cameron(2011)Museums and science centres as sites for deliberative democracy on climate change

  • Fiona Cameron, Ann Deslandes, 2011, Museums and science centres as sites for deliberative democracy on climate change. museum and society, Jul 2011. 9(2) 136-153

〈註〉以下、番号はボクが勝手につけました。

1. Introduction
2. Museums, public confidence & climate information
  2.1 Information and education
  2.2 Governance and decision-making
  2.3 Affectivity
3. Museums as sites of deliberative democracy
4. Vote Science 08, Liberty Science Center, Jersey City, US:
5. Beyond deliberation: museums in/and complexity
6. Brokering complexity: museums and social futures
7. Conclusion

 

〈私の要約〉

熟議民主主義と博物館・科学センターの役割について、著者らはオーストラリアとアメリカの博物館を対象に、オンラインでのアンケートと博物館に来た家族連れや成人に対するグループ調査、博物館のCEOや職員に対するインタビュー調査を実施し、人々の博物館に対する意識を調べた。結果、多くの人々が博物館に対して、意思決定の基礎となるような科学的情報の提供を期待していることが分かった。
著者は博物館の機能について熟議モデルと複合性モデルを持ち出す。熟議モデルによれば、ひとびとは博物館を、より政治的に中立的で、公正な、最新の科学的情報を提供する場所で、政策への批判的検討や意思決定に関する熟議を行うためのプラットホームとみなす。一方、著者らによれば、熟議モデルは、それが扱う問題特有の性質、すなわち気候変動問題の複雑性をうまく扱えないとする。そして、問題の複雑性に対処すべく、博物館を複合性モデルにより説明する。複雑性モデルによれば、博物館は、問題に関係するさまざまなアクター間のブローカーとしての役割を果たすことが求められる。
 
〈論点〉

博物館のもつ特性として著者が言及しているものを自分なりにまとめると以下のようになる。
  1. 固定性
  2. 公平性
  3. 専門性
  4. 通時性
  5. 独立性
  6. 信頼性
  7. 政治的中立性
 
・熟議モデル
まず著者は行った調査の結果から、多くの人々は博物館に対して公平で専門的な正確な情報を提供する場であるべきだと考えていることを示した。同時に市民は博物館の提供する情報に高い信頼を持っている。
調査の結果、(1)ひとびとは政府が提供する気候変動に関する情報・知識を不十分であると感じており、(2)気候政策に関する政府の意思決定に市民がほとんど関与していないと考えていた。また、(3)市民は気候変動問題に関してマイナスの感情を抱いていることが分かった。
 
これらの問題に関して市民が博物館に求めるものとして著者は「公平性」を指摘している。ある特定の立場寄りの情報に偏ることは避けなければならない。またこの「公平性」には政治的中立性も含まれる。博物館は自身の組織としてのなんらかの政治的な意図に基づく情報を提供すべきではない。たとえば温室効果ガスの安定化に対する具体的な数値目標を提示することは求められていない。市民が求めているのは各濃度における社会への影響についての情報を提示することだ。
それらの情報にもとづいて意思決定する(ここでは、許容できる具体的な数値を決める)のは博物館ではなく、‘われわれ’、市民による民主的な熟議である。これは熟議民主主義のコンセプトに符合する。既に述べたようにここでの博物館の役割は、なんらかの価値判断を提示することではなく、あらゆる利用可能な情報を公平に市民に提供することである。
さらに博物館は、政府の決定した政策に対して市民が批判的に検討する場という役割を持つ。当然、博物館は政府の示す政策に対して批判的(critical)なスタンスでいなければならない。博物館はその専門性を、市民が政策に対して批判的に検討し意思決定するための民主的熟議のファシリテータとして用いることになる。
著者によれば、熟議プロセスとは、オープン・ピアレビューのシステムであり、品質管理のプロセスである。すなわち、熟議モデルでは、博物館はオープン・ピアレビューシステムの場としての役割を担う。
このようなアゴラとしての博物館、つまり熟議民主主義の実践の場としての博物館像の出現は西洋社会における熟議的プロセスの議論の高まりに関係していると著者は指摘する。実際の例として、著者は2009年に世界的に実施されたWWViewsのボストン科学館での実施*1を挙げている。地球温暖についてのWWViewsはローカルな熟議プロセスの結果をグローバルな政策決定、COP15に反映させようという世界的な試みの最初の例だった。気候変動のようなグローバルな規模の国際的な問題に関しては、世界の政策立案者と市民の間のギャップを埋め、架橋する民主主義の新しい仕組みが必要とされる。博物館はフォーマルな政治の世界と市民コミュニティの媒体としての役割を期待されているわけである。
 
・熟議モデルへの批判的意見
一方で、熟議モデルに対する批判もある。
熟議民主主義は公共圏におけるひとびとの熟議という形式をとる。ここでは「公平性」は公共圏と私的領域との境界の位置に依存することになる。つまり公共圏の境界の外側におけるアクターのさまざまな働きを熟議モデルは扱うことができない。
著者は興味深い例を博物館のCEOとのインタビュー内容から紹介する。市民は鉱業企業と博物館との関係については問題と思わないが、環境主義団体と博物館との関係は博物館によって問題となると考えている。つまり、私的企業になんらかの思惑があったとしても、それは熟議モデルでは扱えない(環境保護団体は定義的に非営利組織であり、その活動のすべては公共圏に位置する)。熟議モデルで扱えるのは公共圏内の物事だけなのである。
さらに、熟議民主主義はその主体として、理想的に均一化された集団を前提とする。階級、人種、経済力、ジェンダーなど階層性をもたらすさまざまなファクターについて均一化された集団を実際に構成することはできない。換言すれば、熟議民主主義は均等性を前提とするが、現実の社会は不均等なので、この不均等が反映されることを避けることはできないということになる。
熟議民主主義はほかの民主主義の形式と相補的であるべきだという意見もある。
 
博物館の「公平性」や「政治的中立性」、「独立性」はそれぞれ密接にかかわっているが、もっとも直接的な影響を受けるのが資金調達の問題である。インタビューを受けたCEOによれば、博物館は法制度や公的資金の面で州政府の意向に影響を受けているという。
 
・複合性モデル
気候変動問題はきわめて複雑である。科学的知見は全体としてはいまだ不確実性が高く、さらに、さまざまなセクターにおいて、ステークホルダーが存在する。
熟議モデルは公共圏における問題しか扱わない。ゆえに熟議プロセスにおいて、問題はあらかじめコンセンサスの得られる形に再フレーミングされることになる。つまり、気候変動問題の本質的な複雑性は刈り取られ、限定化されて、「解決できる問題」へと変形されることになる。ゆえに著者によれば、熟議モデルでは、気候変動のような複雑性の高い問題を扱うには不十分である。
著者はある意味理想化された熟議モデルにかわって、複合性モデルを提唱する。複合性モデルでは、熟議モデルでは汲み損なったさまざまなステークホルダーの独自の立場と振る舞いを前提とする。当然、博物館自体も主体性を無視することはできない。すでに言及したように、博物館自体も、なんらかの点でステークスをもつアクターでなのである。
 複合性モデルにおける博物館の役割はさまざまなセクター間の複合体であるステークホルダーの意見のブローカーとなり、より多様な観点を反映した意思決定を支援することである。
 
・私的/公共的の区分と博物館
博物館の本来の機能のひとつは展示によって観客たる市民に情報を提供することである。著者によれば、これによって博物館が目的にしていることは市民個人のふるまいに関する意思決定に対する情報を提供することである。ゆえに情報提供の場としての博物館は、公共的な意思決定を支援するという機能を果たしているとは言えない。
 
・ファシリテート/アドボケイト
博物館は専門性を有する。この専門性は、博物館の独立性、公平性などとともに市民の博物館への信頼に資している。熟議モデルにおいて、博物館は公平なファシリテータとしての役割を期待されている。しかし専門機関として、市民に対するアドボカシーとして働く場合もある。博物館独自の価値判断や政治的イデオロギーの含まれる情報を提供することに無批判的であるのは、すくなくとも市民の博物館へ期待する役割に反することになる。複合性モデルにおいては、博物館は複合的なアクター間のブローカーとしての役割を担う。著者は博物館は「誠実なブローカー」であるべきだと主張している。
 
・博物館の通時性
博物館に固有の性質として、著者は博物館の持つ時間の次元/永続性を指摘している。長期的な視野に立つ政策決定は、従来の公選制の政治体制は適切ではないという意見がある。つまり、比較的短い任期で職にあたる国会議員は、その政治戦略として、長期的な展望に立つ政策への優先度は低くなりがちになる。気候変動問題の本質的な性質の一つはその永続性であり、気候変動への対策は人類が(それを必要とするかについての議論をも含めて)今後数十年~数百年スケールで検討しなければならない政治課題である。博物館の伝統的な機能のひとつは歴史資料の収集と保管であり、博物館という機関の性質は、時間に対する安定性に特徴づけられる。と同時に、独立性が担保されていることが求められている機関でもある。これは長期的な視点に基づく意思決定の場として博物館のもつ特長である。
 
 
〈コメント〉
 STSと博物館論の関係は以前から興味あるところなのだったので気になっていた。
科学技術に関する政策決定に市民の声を、というおなじみの提言は結局のところ、それをどういう形で実現するか、という点が大きな課題だ。
気候変動のような規模が全球レベルで、利害関係者の構造がきわめて複雑な問題に対処する政策決定は、基本的に国際政治の世界の話になる。政策決定者は政府の政策実務者であり、主権者である市民が直接的に*2関与できるチャンネルはきわめて限定されている。一方で、政府やメディアが気候変動対策に関して提示する情報は市民の個人的協力と努力を要請するものが大半だ。科学コミュニケーション論には欠如モデルという考え方があるが、従来の政府主導による「国民の理解を促し、協力を要請する」ための情報提供は欠如モデル的であるといえるだろう。近年では、欠如モデル的に一方的な情報提供ではなく、科学技術に関する意思決定を市民とともに考えることを目標として双方向的な情報のやり取りを行う「市民参加」モデルが提唱されており、実際の市民参加の試みとして、参加型テクノロジーアセスメントや討論型世論調査などの方法がなされてきているが、これら熟議的手法は課題も多い。
2009年には地球温暖化に関する国際政治の場COP15にローカルな熟議プロセスの結果を反映させることを目的として世界40か国で同時にWWViewsという試みが行われた。
  
 著者は気候変動に関する政策について市民参加による議論をおこなう場としての科学博物館の役割を考察している。
 博物館を熟議の場として考えるという話なのだが、どうして博物館なのかという点がいまいちよくわからない。これは豪米での調査結果を基にしているので、日本での議論にそのまま置き換えることはできないのだが、日本での博物館をめぐる状況をかんがみるに、実際的に実現できるみこみはあまりないのではと思う。
著者は博物館をinstitutionとしてこの役割を論じているが、実際にその役割を担うのは博物館のスタッフだ。博物館に熟議空間という機能を付するとして、ファシリテータとしての役割を担うのははたして「だれ」なのか。学芸員にこれを任せるのは現状では難しいと思う。であれば、あらたにファシリテータとしての専門性をもつ人材を配置させるか。博物館であることの必要性はどのように担保されるのか。資金はどのように確保すべきか。などなど。
現実に実現させることを想定するならば、問題は多い。とはいえ、博物館をひとびとの交流の場として見なす考え方は、博物館をめぐるこれまでの議論の流れのなかにも存在する。美術史家ダンカン・キャメロンはこれまでの「神殿」としてのミュージアムから「フォーラム」としてのミュージアムへの転換を主張した。この論文中にも'forum'という語が登場する。しかし、ここでのフォーラムと政治性を持つ熟議の場を同一視することへの違和感もある。
 
また、熟議民主主義の手法を実際の政策にどのように組み込むかという点に関しては、博物館に限らず現状コンセンサスはないといってよいと思う。本当に政策過程に組み入れるとして、いまの制度と比較してどの程度の重みを付けるべきなのか。政策材料としての正統性はどのように担保されるのか。
 
フォーラムが社会に存在することの利点と、実際の政策過程としての効果を、分けて考えるという手もある。私は、社会のなかにひとびとが科学技術について熟議できる場が恒常的にあるべきだとは思うが、それを公的に設立することがどの程度正統性を保って行えるか、疑問にも思う。
博物館を熟議民主主義の場として実現させるのはかなり難しいのではないかというのが、いまのところのボクの結論だ。
 

*1:WWViews自体は実際には世界38か所で実施され、ボストン科学館での実施はそのうちのひとつである。これは実施機関としてボストン科学館が指定されているということで、実施場所にどのくらい博物館が使われていたのかは調べていない。ひまなときにHPで調べてみようかな

*2:環境NGOはUNFCCCの場で交渉に参加できるらしい。国内の省内委員会レベルであれば市民団体も委員として参加できる場合もあるそうだ。が、いずれにしても、市民の潜在的参加レベルは低い