read the atmosphere

気候変動と科学と社会

〈書籍メモ〉藤田慎一(2012)酸性雨から越境大気汚染へ

  • 藤田 慎一 (2012) 気象ブックス036 酸性雨から越境大気汚染へ. 成山堂, 146pp

第1章 アルカリ産業の勃興

第2章 降水化学のあけぼの

第3章 深刻化する大気汚染

第4章 酸性雨問題の始まり

第5章 東アジアの酸性雨

第6章 環境問題の質的変化

第7章 越境大気汚染の解明に向けて

 

大気汚染研究の専門家による大気汚染の概説書。章立てからわかるようにおおまかには歴史に沿って記述されており、とくに前半の大気汚染研究の歴史は興味深い。

この記事の前半はおもに前掲書の大気汚染研究史に関する部分に関するメモ。後半はロスビーの大気化学研究への関心についてすこしまとめた(あとで独立した記事にするかも)。

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  • 岩倉具視特命全権大使とする遣米欧使節団が英国を訪れた時代には、すでに英国は環境汚染に悩まされていた。
  • 当時の環境汚染は現在と異なり、塩素化合物による大気・土壌汚染が主だった。それは炭酸ナトリウムの工業生産の手法としてルブラン法をもちいていたためだ*1
  • 環境汚染対策として工業排出物の規制が政府によりなされた。規制の監督官として王立科学アカデミー会員で化学者のダンクル・スミスが任に就いた*2。スミスは国内の降水を化学分析し、化学物質の環境分布を調べて汚染状況を報告した。
  • スミスは1872年に「大気と降水 化学気候学のはじまり」という研究書を出した。
  • 降水や土壌など環境中の化学物質の分布の研究はスミスの師であった有機化学者リービヒの農芸化学の流れを汲んでいた。
  • リービヒは自身の仮説の立証と農業生産のためには環境中の化学物質の分布を知る必要だと考えた。リービヒは作物の育成は化学物質が規定していることを突き止めたが当時彼は窒素化合物は環境中にすでに十分あると考えており、作物の栽培には肥料としてリンやカリウムなどの無機塩が必要だと思っていた。
  • リービヒの研究に触発され、降水化学は欧州に広がった。イギリスの農業試験所の研究員だったロースらは環境試料の採取と化学分析を行い、その結果、窒素化合物の不足が作物の育成を制限していることを明らかにし、リービヒの仮説をただした。
  • つまり降水化学(降水・沈着土壌中の化学物質の研究)は農芸化学的な動機をその一部に持っていた。さらに、産業の発展に伴い環境汚染が深刻になったという背景の元、スミスはリービヒの流れを汲んで、降水化学研究を進めた。
  • スミスの出版した研究書は化学気候学と銘打たれていたものの、試料の採取はスポット的で不十分なものだった。
  • 観測ネットワークの整備と観測手法の規格化はのちにウィリアム・ラッセルによってなされた。
  • 第2次大戦後の1950年代、ロスビーらは新しい化学気候学を志向した。スミスの研究とのちがいは、化学観測ネットワークの確立により、化学物質の広範な分布を総観気象学的な知見と組み合わせることで説明することが(不十分であるにせよ)可能になったことだった*3
本書の後半では、大気汚染対策における科学と政策との関係が述べられている。欧州が科学的不確実性のなか、予防原則という政治主導の意思決定をしたのに対し、アジアはまだその段階にはない。興味深いのは東アジアの越境大気汚染における中国の寄与について、日本の研究が高い割合を出したのに対し、中国の研究ではずいぶん寄与度が低い。米国の研究はそのあいだの結果を出しているという。とても面白い。著者は東アジアにおける越境大気汚染の改善にむけ、まずは科学者の認識を一致させることが必要だと述べている。
 

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〈ロスビーの化学気候学の背景:大気化学研究への関心〉

前掲書にあったロスビーの化学気候学について、同署ではロスビーの研究の明確な動機は明言されていなかったが、私にとっては以前から気にかかっていたことだった。ボリンの業績についての文献を読んでいた時、ボリンが数値予報の研究で博士号を得た後にロスビーに大気化学研究を勧めたという話を知った*4。そのときまでロスビーを気象力学の大家だと理解していたので、元指導学生(つまりボリン)に大気化学を勧めた理由が気になっていた。

 

まず1950年代中ごろの大気化学がどんな関心を持っていたのかについて。例としてElikssonによる1954年の大気化学に関する非公式会議(第1回)のレポートを参考にした(Eriksson 1954)。発表者とテーマを以下にまとめた。 

この会議に先行して、雲物理に関する会議が1952年に開かれている。化学物質の輸送や再分配への大気循環の役割は雲物理を研究する気象学者に興味を持たれていたが、これ以外に農学や大気汚染、地球化学の研究者も関心を持っていた。1950年代はじめにスウェーデンの降水化学の分布チャートが示され、以来化学分布と総観気象学に関する研究が積み上げられはじめた。元素の地球物理的な循環(geophysical circulation)パターンから元素の地球化学的循環(geochemical cycle)の理解を深めようという機運があった。

1954年に開かれた非公式会議は大気化学に関する会議と銘打たれ、大気化学の総観的、気候学的な研究の推進が目的とされた。当時の大気化学の知見のアセスと52年の会議以降のリサーチプログラムのレビューがなされた。

この会議を主催したうちの一人はロスビーで、彼は開会に際しての講演で大気化学研究の意義について述べている。大気化学は地球化学の一部分であり、さまざまな化学物質の循環における大気の役割に関心を向ける。その解明には従来の気象学は不可欠だがそれと同等に重要なのが大気中と降水中の化学物質の地理的分布に関する総観的・気候学的データの収集である。この言葉は使っていないものの、あきらかにこの時点ですでにロスビーは「化学気候学」の推進を提唱しているといっていいだろう。

 

大気化学研究へのロスビーの関心については、教え子のひとりであるボリンの回顧録が参考になる(Bolin 1999)*5。ロスビーは没する前の10年間、つまり1947-1957年のあいだ母国スウェーデンで研究生活を送った。アメリカを離れ帰国してから、ストックホルム気象研究所(International Meteorological Institute in Stockholm)を設立し、ヨーロッパ各地から有望な若手研究者を集めた。ロスビーの大気化学への関心の背景にあったのは、欧州の大気汚染への懸念とともに、大気科学(Atmospheric sciences)を生物地球化学の広いフィールドと結びつけることだった。沈着窒素の分布チャートを見たロスビーはすぐに物質循環における大気の役割のグローバルな意義を理解した。大気化学は彼の設立した研究所の中心的な研究テーマの一つになり、これが生物地球化学における大規模大気プロセスの役割に関する研究のはじまりだとボリンは述べている。

 

間接的な貢献であるが、ロスビーが創刊した論文誌Tellusの果たした役割について触れておく。Tellusは地球物理をおもとする論文誌だが、インターディシプリナリで、大気化学研究者が集まる場でもあった(Byers et al. 1960)。なお、科学史研究者のWeartはTellusが気候変動に関する研究においても、さまざまなディシプリンの研究者が集うフォーラムとして、気候変動のインターディシプリナリな研究を進めるうえで大きな役割を果たしたと指摘している(Weart 2013)。

 

以上のように、1956年に博士号をえたボリンが指導教員だったロスビーに大気化学研究を進められた背景には、晩年のロスビーの大気化学への期待があり、ちょうど地球化学としての大気化学研究が黎明期にあったらしいことがわかった。

"You should change gear now and try to determine the residence time for different elements in the atmosphere."  

 〔Bolin (1999) p.11から引用〕

余談だがボリン自身はこれを契機に炭素循環研究に関心を持ったと述べている。

 

ロスビー自身は1955年に化学気候学の論文を共著で公刊したのち1957年には亡くなっている。ロスビー没後の化学気候学研究も気になる。また、大気化学といってもかなり広範な分野であること*6、今日の大気化学のイメージを過去に適用するAnachronismにも注意したい(自戒として)。いずれにしても、大気化学研究へのロスビーの寄与はもうすこしていねいにその後の研究史を見ないとたしかなことはいえないだろう。

 

参考文献:

  • Bolin, B (1999) Carl-Gustaf Rossby: The stockholm period 1947-1957. Tellus 51 A-B, 4-12
  • Byers, H et al. (1960) Biographical Memoir Carl - Gustaf Arvid Rossby 1898—1957. National Academy of Science.
  • Eriksson, E (1954) "Report on an Informal Conference in Atmospheric Chemistry Held at the Meteorological Institute, University of Stockholm, May 24-26, 1954." Tellus 6: 302-307
  • Weart, S (2013) Rise of interdisciplinary research on climate. Proceedings of the National Academy of Sciences of the United States of America Volume 110, Issue SUPPL. 1, 3657-3664

*1:ルブラン法では塩化水素ガスと固形残渣(おもに硫化カルシウム)が発生し、環境汚染の原因になった。のちにソルベー法が発明され、競合の末に取って代わられた

*2:当時塩化水素による環境汚染を抑制するため、排出規制を定めた法律が施行された。これはアルカリ法と呼ばれ、現代的な環境法の嚆矢として知られているそうだ。

*3:具体的には降水中の化学組成とそのときの気圧配置を比較し説明を与えるようなものだった。

*4:以下の記事を参照。

〈記事メモ〉Rodhe(1991)Bert Bolin and his Scientific Career - read the atmosphere

*5:1998年にロスビー生誕100周年を記念して開かれた「ロスビー100シンポジウム」でのボリンの基調講演を論文化したもの。

*6:たとえば、同時期には高層大気の光化学研究なども進行していた。Bates and Nicolet(1950)など。これはのちにCrutzenやJohnstonの成層圏オゾン化学研究につながる。他方対流圏光化学の研究では、新たな大気環境問題として光化学スモックが認識され、アメリカではHaagen-Smitによる先駆的な大気汚染研究がなされていた。