〈記事メモ〉Rodhe(1991)Bert Bolin and his Scientific Career
- Henning Rodhe, 1991, Bert Bolin and his Scientific Career. Tellus B, vol.43, Issue 4, p.3-7
〈感想〉
大気科学の現代史を語るうえで、バート・ボリンの貢献ははずせないだろう。バート・ボリンのことを最初はIPCCの初代議長として知っていたが、大気科学・気候科学の研究史を調べていく中で何度もその名が出てきて驚かされた。
地球科学がそのほかの学問と異なるのは、研究対象のスケールの大きさと、広く学際的であることだ。これらは全球的な科学観測ネットワークの設備と関連分野間の連携を要請する。1960年代から、社会的関心の高まりもあって、地球システムの科学研究には、国際レベルでさまざまな分野の研究者が共同で研究する体制が必要とされた。契機となったとされているのは1957-1958年の国際地球観測年(IGY)で、その後地球科学、とくに大気科学の研究は国際的な組織化が図られるようになった。1963年には世界気象監視計画(WWW)が開始された。そして1967年にはGARPが開始される。この国際的な計画のけん引役になったのがバート・ボリンだった。GARPはその後、1979年の第1回世界気候会議を経て、世界気候研究計画(WCRP)へと引き継がれることになる。地球温暖化問題に関して、科学者の温暖化への科学的認識を示した重要な資料とされているSCOPEの報告書の中心になったのもボリンだ。地球システムの研究のため、地圏と生物圏の統合的な研究計画であるIGBPの発足にもボリンがかかわっている。そして、1988年に設立したIPCCの初代議長として、その立ち上げにも尽力した。ボリンは1997年まで議長を務めた。IPCCの前身的*5な組織として、1985年に立ち上げられた温室効果ガスに関する諮問グループ(AGGG)があり、ボリンもメンバーの一人だった。AGGGは1985年に開かれたフィラハ会議の補完をするためにUNEP、ICSU、WMOによって設立された組織で、IPCCとは別に1990年に温室効果に関する評価報告書を発表している。
*1:水滴の平衡蒸気圧について、ケルビンの曲率効果と溶質効果をまとめた図であるKöhler curveで有名なHilding Köhlerである。
*2:1950年3月にプリンストン高等研究所のチャーニーやフォン・ノイマンらプリンストン・グループは世界で初めて電子計算機(ENIAC)を用いた数値予報に成功した。この時期、日本からは岸保勘三郎がプリンストンに招かれて数値予報の研究をしている。
*3:参考:古川 武彦, 2012, 人と技術で語る天気予報史 — 数値予報を開いた<金色の鍵>. 東京大学出版会, 299 pp. 特に取り上げられてはいないが、ボリンの名前も登場する。
*4:1985年にオーストリア・フィラハで開かれた地球温暖化に関する会議で、世界から気候に関わる科学者と政策決定者が出席した。フィラハ会議は地球温暖化への科学者の懸念の表明と、温室効果ガス削減のための具体的な政策提言をしたという点で、地球温暖化の国際政治課題化の嚆矢となったとされる。
*5:公式にはそれぞれ独立した組織である。AGGGとIPCCが同時に存在した時期もあり(1988-1990)、その時期には異なる性格を持つ別個の組織としてそれぞれ役割を果たした。ボリンのように、AGGGとIPCCのいずれにもかかわった人物もいる。その後、AGGGはその役目を終えた。IPCC設立の経緯やAGGGなど関連組織のかかわりは若干複雑なのだが歴史としては非常に面白いので、いずれ整理して理解したいと思っている。
*6:Paul N. Edwards, 2010, A Vast Machine: Computer Models, Climate Data, and the Politics of Global Warming. Cambridge MA USA: MIT Press, 517 pp.
*7:Bert Bolin, 2007, A History of the Science and Politics of Climate Change: The Role of the Intergovernmental Panel on Climate Change. Cambridge Univ. Press, 277 pp.