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気候変動と科学と社会

〈記事メモ〉Rodhe(1991)Bert Bolin and his Scientific Career

  • Henning Rodhe, 1991, Bert Bolin and his Scientific Career. Tellus B, vol.43, Issue 4, p.3-7
バート・ボリンは1925年5月15日、スウェーデンのニーショーピングで生まれた。彼の両親はどちらも教師だった。ウプサラ大学の気象学コースで学んだ父に触発されて、バートは小さい頃から気温を記録していた気象少年だった。
 
 ウプサラ大学で数学と物理学を学んだバートは、ヒルディング・ケーラー*1教授のもとで気象学を学び、学士号を得た。
 
1947年、兵役を終えたバートはアメリカから戻ってきたロスビーと会った。スウェーデンに戻ったロスビーはすぐに気象学の国立研究所(IMI)をつくり、ヨーロッパ中から有能な気象学者を集めた。バートはそこで修士をとった。
 
 1950年、1年間アメリカへ留学し、シカゴ大学プリンストン高等研究所に滞在した。そこでチャーニー、スゴマリンスキー、フィリップス、フォン・ノイマンなど気象力学と数値予報の研究者たちと出会った*2*3
 
1951年にストックホルムへ戻り、ストックホルム大学で博士号取得のための研究に取り組んだ。おもな時間は気象力学と数値予報の研究に使われた。実は世界初のリアルタイムの数値予報は1954年にストックホルムで行われている。バートの博士号のテーマは、風と気圧場の相互作用とその数値気象予報への応用だった。
 
1956年に博士号をとったあと、バートはロスビーから他の研究分野へ移ることを助言された。大気化学、とくに大気中の汚染物質の滞留時間についての問題だった。これをきっかけにバートは炭素循環に興味を持ち、以来ずっと強い関心を向け続けた。
 
1965年から1967年の2年間は、欧州宇宙研究機構の科学ディレクターを務め、ヨーロッパの衛星の開発とロケット打ち上げ基地建設の計画に取り組んだ。
 
1960年代中頃、バートは地球大気研究計画(GARP)の創設に深く関わった。これはICSUの枠組みを発展させたもので、最初(1962年)はチャーニーによって取り仕切られた。この取組みは数値予報と気象衛星の成功に勢いづけられたもので、気象と気候の予測の改善のため全球気象システムの理解を深めることを目的としていた。
GARPの本当の出発点になったのは1967年に開かれた会合で、バートはオーガナイザーとして主要な役割を果たした。
 
 1960年代後半から大気の酸性化問題が明らかにされはじめた。これはスバンテ・オーデンの先駆的な仕事によるところが大きい。オーデンは1961-1963年の間、IMIに滞在して降雨の化学データを分析し、硫黄の増加とpHの低下に伴う気候の系統的な変化に気づいた。これらの結果がまとめられ公式に発表されたのは1967年だった。バートの主導により、この酸性化問題は1972年の国連人間環境会議でスウェーデンケーススタディに選ばれた。
 
 バートはICSUの環境問題科学委員会(SCOPE)においても手腕を発揮した。生物地球化学循環プロジェクトの牽引役を務め、4つの主要なSCOPEレポートの編集者でもあった。これらのレポートのうち、もっともよく知られるものはNo.13 'The Carbon Cycle’ とNo.29 'The Greenhouse Effect, Climate Change, and Ecosystem’  で、後者は1985年のフィラハ会議*4で科学者と政治家が気候変動をどうみなすかについての結論を示した。
 
1980年代を通じて、人類が変化に直面している地球環境システムの理解の進歩のため、地球科学者(気象学者、海洋学者、水文学者、地質学者など)と生物学者(生態学者、微生物学者など)のあいだの親密な協働が必要とされるようになった。
これは最大規模の国際研究活動計画の形成に繋がった。地球圏-生物圏国際協同研究計画(IGBP)である。バートは1985-86年の間ICSUの作業部会の議長を務め、1986年にICSUによってこの計画が決定された。幅広い科学知識と組織をまとめる特異な才能によって、バートはこの継続的な大仕事の中心的役割を担った。
 
最近のバートの国際的な場での貢献は、1988年にWMOとUNEPによって設立された気候変動に関する政府間パネル(IPCC)の議長になったことだ。IPCCは1990年に3つのレポートを作成し、1992年の気候変動枠組み条約の採択に貢献した。
 スウェーデン国内でもバートは劣らず重要な役割を果たした。バートは1962年から王立科学アカデミーの活発なメンバーであり、1983年から政府の科学顧問をつとめ、1986年から首相の科学政策に関するアドバイザーを務めた。
 
 
 〈感想〉

大気科学の現代史を語るうえで、バート・ボリンの貢献ははずせないだろう。バート・ボリンのことを最初はIPCCの初代議長として知っていたが、大気科学・気候科学の研究史を調べていく中で何度もその名が出てきて驚かされた。

地球科学がそのほかの学問と異なるのは、研究対象のスケールの大きさと、広く学際的であることだ。これらは全球的な科学観測ネットワークの設備と関連分野間の連携を要請する。1960年代から、社会的関心の高まりもあって、地球システムの科学研究には、国際レベルでさまざまな分野の研究者が共同で研究する体制が必要とされた。契機となったとされているのは1957-1958年の国際地球観測年(IGY)で、その後地球科学、とくに大気科学の研究は国際的な組織化が図られるようになった。1963年には世界気象監視計画(WWW)が開始された。そして1967年にはGARPが開始される。この国際的な計画のけん引役になったのがバート・ボリンだった。GARPはその後、1979年の第1回世界気候会議を経て、世界気候研究計画(WCRP)へと引き継がれることになる。地球温暖化問題に関して、科学者の温暖化への科学的認識を示した重要な資料とされているSCOPEの報告書の中心になったのもボリンだ。地球システムの研究のため、地圏と生物圏の統合的な研究計画であるIGBPの発足にもボリンがかかわっている。そして、1988年に設立したIPCCの初代議長として、その立ち上げにも尽力した。ボリンは1997年まで議長を務めた。IPCCの前身的*5な組織として、1985年に立ち上げられた温室効果ガスに関する諮問グループ(AGGG)があり、ボリンもメンバーの一人だった。AGGGは1985年に開かれたフィラハ会議の補完をするためにUNEP、ICSU、WMOによって設立された組織で、IPCCとは別に1990年に温室効果に関する評価報告書を発表している。

どうやらバート・ボリンには組織をまとめる稀有な才能があったようだ。Edwards(2010)*6は気候科学の発展における知識のインフラストラクチャの重要性を指摘しているが、バート・ボリンはまさにそのインフラの整備に最大級の貢献を果たした人物であると思う。ボリンは亡くなる直前に自伝を書いているので、それも読んでみたい*7
ところで、私が特に気になったのはロスビーがボリンに大気化学への転向を進めていたという話だ。本当ならとても面白い。1950年代の大気化学の事情はよく知らないが、大気化学はもともと学際分野なので、大気化学の研究者の他分野との交流は行われていただろうし、科学史的に興味深いところだ。1950年代には大気化学の分野が業界で有望だったのだろうか。同じ時期、気象学から転向した人はいたのだろうか。大気化学の歴史を調べてみたい。

*1:水滴の平衡蒸気圧について、ケルビンの曲率効果と溶質効果をまとめた図であるKöhler curveで有名なHilding Köhlerである。

*2:1950年3月にプリンストン高等研究所のチャーニーやフォン・ノイマンプリンストン・グループは世界で初めて電子計算機(ENIAC)を用いた数値予報に成功した。この時期、日本からは岸保勘三郎プリンストンに招かれて数値予報の研究をしている。

*3:参考:古川 武彦, 2012, 人と技術で語る天気予報史 — 数値予報を開いた<金色の鍵>. 東京大学出版会, 299 pp.  特に取り上げられてはいないが、ボリンの名前も登場する。

*4:1985年にオーストリア・フィラハで開かれた地球温暖化に関する会議で、世界から気候に関わる科学者と政策決定者が出席した。フィラハ会議は地球温暖化への科学者の懸念の表明と、温室効果ガス削減のための具体的な政策提言をしたという点で、地球温暖化の国際政治課題化の嚆矢となったとされる。

*5:公式にはそれぞれ独立した組織である。AGGGとIPCCが同時に存在した時期もあり(1988-1990)、その時期には異なる性格を持つ別個の組織としてそれぞれ役割を果たした。ボリンのように、AGGGとIPCCのいずれにもかかわった人物もいる。その後、AGGGはその役目を終えた。IPCC設立の経緯やAGGGなど関連組織のかかわりは若干複雑なのだが歴史としては非常に面白いので、いずれ整理して理解したいと思っている。

*6:Paul N. Edwards, 2010, A Vast Machine: Computer Models, Climate Data, and the Politics of Global Warming. Cambridge MA USA: MIT Press, 517 pp.

*7:Bert Bolin, 2007, A History of the Science and Politics of Climate Change: The Role of the Intergovernmental Panel on Climate Change. Cambridge Univ. Press, 277 pp.