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気候変動と科学と社会

〈随想〉正月、祖母の家にて

正月に帰省した。母親や祖母とニュースを見ていたら、昨年4月の熊本地震の話になった。わたしの実家は北部九州にあり、ちいさいころから地震が少ない土地だと教えられてきた。自分の記憶を辿ってみても、震度3以上の地震を経験したことは数えるほどしかない。

地元を離れ、関西でひとり暮らしをしているわたしは、4月16日深夜、研究室でひとり実験データを解析していた。地鳴りがして居室が揺れるのを感じ、すぐにTwitter震源地と震度を確認する。震源熊本県熊本地方。実家のある町の震度もかなり大きい。心拍数が上がるのを感じた。Twitter上をこれが本震だというつぶやきが流れていく。しばらくして地元に住む友人からLINEが来た。地震が起きたとき、母は風呂に浸かっていた。

母と祖母の話を聞きながら、わたしは昨年見た、あるテレビ番組を思い浮かべた。どういうテーマの番組であったかは忘れてしまったが、とあるインタビューで東京のひとに話を聞いていた。テレビの前で答えた人が「あの地震で」という言い方をした。2011年の東北地方太平洋沖地震だ。震災についてのインタビューだったわけではない。話の流れで出た言葉だった。印象的だったのは、おなじ日にみたべつの番組のインタビューのなかでも、答える人が「あの地震」の話に触れたことだった。ああそうか、あの日、東日本にいた人は、地震の記憶を持っているのだ。震災を特集した番組ではない、バラエティ番組のインタビューのなかで、わたしはそのことを再発見した。

地震の記憶は、地層のようなものだと思う。記憶が地層のように積み重なっていくものだとすれば、ひとりひとりの積もりかたは当然異なる。どんな記憶が厚い層となってどんな記憶がならないのか、どのくらいのスピードで積みかさなるのか、ひとによってだいぶちがうのだろう。なにより、他人の記憶の地層はふだんは誰にも見えない。それはあるとき、たとえば何気ないインタビューの中で、たとえばある人の行為の動機を説明するときに、地震の記憶が姿を見せる。それがどのような記憶であれ、どのくらいの深さで横たわっているものであれ、その記憶を誘起した物理的な事象そのものは、おなじ時間に、そしてある地理的範囲で、起こったことなのだ。逆に言えば、まったくことなる文脈で、独立に人々から語られる地震の記憶の一致。この一致が、それを誘起したであろう物理的事象の実在を、わたしに証言する。

2011年3月11日、わたしはまだ実家にいた。その年の4月からはじめて実家を離れて暮らす予定だった。震災の被害を伝える映像を、まさにリアルタイムにテレビで見ていた。その日以後も、今日まで、数え切れないほどの回数、震災の映像を見た。それでも、あの日揺れなかった土地にいたわたしに、あの地震の実在を感じさせたのは、たまたま見たテレビ番組のなかに、脈絡なく現れた、2つの独立した記憶だった。この感覚があまりに奇妙で、軽薄で、誰にも言えないままこころに残っていた。