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read the atmosphere

気候変動と科学と社会

〈書籍メモ〉Christie(2001)The Ozone Layer[Chapter1 & Chapter2]

大気化学 科学史 書籍メモ
  • Maureen Christie (2001) Chapter 1 Introduction. "The Ozone Layer: A Philosophy of Science Perspective". Cambridge University Press. Cambridge. pp.1-7.
  • Maureen Christie (2001) Chapter 2 Stratospheric ozone before 1960. "The Ozone Layer: A Philosophy of Science Perspective". Cambridge University Press. Cambridge. pp.9-16.

 

第1章はイントロダクション。著者は科学哲学のケーススタディとして成層圏オゾン層研究を使いたいみたい。科学哲学が現代の個別科学が実際にやっていることをちゃんと見られていないのではという指摘はときどき目にするところだけど、この本の問題意識もこのへんにあるのかな。著者は、「なにが良い科学か」という規範的な基準を科学哲学の中心に考えていて、科学史や科学社会学が科学がいかようであるか(how)を語るのに対し、科学哲学は、科学がどうあるべきかという処方を科学者に与えるものだと考えている。ただ、実際の個別科学の営みを精査しないといけないことには有用な規範は提出できないので、著者はこの本のアプローチとしてはむしろ処方的というよりは記述的だと語っている。とはいえ、なにが良い科学かという規範的言明を科学哲学のアプローチを使ってやってやろうと考えている点で、この本は科学哲学の本なのだ。著者の主な着目点は、オゾン層研究コミュニティの中でなにが証拠とみなされ、それがどのように正当化されたのかという点にある。古典的な論理的整合性や物理現象の説明能力だけでなく、その時代の社会背景や政策的文脈、研究予算獲得の状況などが科学の妥当性画定に影響を与えていると考えている点ではSTSっぽさを感じるところでもあった。

第2章は1960年以前の成層圏オゾン研究の歴史について。まずはオゾンの性質の説明と1837年のシェーンバインによるオゾンの発見から。とはいえこの話はこれで終わり。むかしはオゾンは健康にいい空気だと思われていたらしく、このことについては以前から気になっているのだが、まあこの本の主題は成層圏オゾンだから当然そんな話はない。1879年にコルヌー、1880年にハートレーによって大気上層にオゾンがある事が発見される。地上での太陽スペクトルのある波長域が欠けていて、上空のオゾンによる吸収のためと推測したのだ。その後ファブリとブイソンによって、1912年にカラムの全量が見積もられた。のちの1921年のファブリとブイソンの仕事はオゾン全量を地上換算すると3mmの量であることを定量化した。これは今では300ドブソンユニットと呼ばれる量で、現代の測定から見てもかなり正確な結果だった。またこのとき彼らはオゾン量の日内変動、および日-日変動を見つけた。1924年のドブソンとハリソンの測定から、オゾン量は春は増え、秋に減ることがわかった。また、気圧が低いとオゾン量は少ないこともわかった。こうした日々の気象状況とオゾン量との関係が見出されたことは、オゾン量観測と気象予報が結びつく可能性の認識をもたらしたらしい。この辺は知らなかったが、興味深い。オゾン量の観測から近い将来の気圧変化を予測できるかもという話かな?オゾンカラムの変動がわかった事でオゾン観測が広まった。観測ネットワークが最初は欧州で1926年にOxford, Shetland Islands, Ireland, Germany, Sweden,Switzerland,そしてChileで、1928年にはインド、ニュージーランドにまで広がった。こうした観測によって、オゾンの季節変動や気圧配置との関係が広く認識されるようになる。このあとは1928年から1956年までにわかったことが列挙されている。

観測ネットワークの広がりという点で、これにつづいたのは1957年から始まったIGY(国際地球観測年)だった。成層圏オゾンの観測はIGYでも興味あるトピックであり、世界各地に観測基地が設けられた。しかしながらこうした観測基地の多くはその後数年で観測をやめてしまった。IGYははじめて南極でオゾン観測がなされたという意味で重要だった。南極のオゾンの挙動は他のどの地点とも異なっており、研究者の興味を引いた。ふつう秋に極小を迎え春の極大に向けてだんだんオゾン量が増えていくのに対し、南極では冬から春の初めにかけて秋のレベルのまま推移した。そして春になると劇的に増加し、夏にかけてゆっくり減衰していった。こうした奇妙な挙動はドブソンによって「南方アノマリー」と呼ばれた。いっぽう、どうしてオゾンが成層圏にあるのかということや、地域による大気組成のちがいの定量的な理解には、気象学や大気物理学が取り組んでいた大気大循環の知見だけでなく、大気化学が必要だった。成功した理論を立てたのはチャップマンで、1930年の仕事だった。チャップマンのモデルでは成層圏オゾンのピークが成層圏の上部でも下部でもなく20kmあたりにくることを説明できた。チャップマンのモデルは1970年くらいまでの長い間代替的なモデルに取って代わられることはなかった。それ自体効果的な理論ではあったのだが、より精密なデータが使えるようになると、成層圏上部のオゾン量がモデルと実測で2倍ほども食い違うということがわかってきた。定式化した反応式のなかで重要なパラメータである反応速度定数のうち、いくつかは実験室的測定によりかなり確実に確定できた。この理由はオゾンの解離定数に寄与する評価されていない未知の反応があるためだろうと推測された。

ここで著者はこの話を科学者による科学理論の取り扱いの話に一般化させている。科学者は、ある理論が定性的にはうまくいくのに定量的にはうまくいかないという状況に直面した場合、ふつうその理論を棄却するのではなく、修正しようと考えるという。この場合も、科学者はチャップマンの理論を捨て去るのではなく、修正すればいいと考えた。ところが、おもしろいことに、1960年に注目すべき研究がでるまでは、積極的にこのモデルの改良をしようという動きは起こらなかった。著者はこのチャップマンモデルの長命の理由を、当時の成層圏オゾン研究の主流は大気物理学であり、大気化学は大気化学で対流圏の大気汚染の問題に夢中だったからだろうと考えている。うーん、そうだろうか。そもそもチャップマン自身地球物理学の人間だし、この時期の成層圏オゾンの大気化学を担っていたのはいわゆる大気化学プロパーではなかったんじゃないのかなあ。それと気になったのはIGYのオゾン観測事業にチャップマンがどうかかわったのかということ。たしかチャップマンはIGYの推進者の一人だったはずだけど、彼はどんなふうにかかわってたんだろうか。そういう話はなかった。