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気候変動と科学と社会

〈書籍メモ〉カーオ(2015)20世紀物理学史[24章と25章]

  • 第24章 固体物理学の諸要素. pp.471-488. in ヘリガ・カーオ(著), 岡村拓司 (監訳), 『20世紀物理学史 (下)』. 名古屋大学出版会, 2015.
  • 第25章 物理工学と量子エレクトロニクス. pp.489-503. in ヘリガ・カーオ(著), 岡村拓司 (監訳), 『20世紀物理学史 (下)』. 名古屋大学出版会, 2015.

 

第24章は固体物理学の歴史の概観。カーオによれば、固体物理ディシプリンとしての認識論的基盤は量子力学を固体に応用したことだ。量子論以前にはドゥルーデが自由電子気体モデルによる伝導の説明に成功していたけど、金属抵抗の温度依存性なんかを説明することはできなかった。初期の研究では量子論の研究者が活躍する。1927年ごろパウリは固体中の電子にフェルミディラック統計を適用し成功した。しかしパウリにとって固体物理は場の量子論などの理論物理の基本問題に比べるといちだん落ちるものだったらしい。とはいえその後固体への量子論の応用という方向性はパウリから、ゾンマーフェルトを経てブロッホ、パイエルス、ベーテらによる初期のバンド理論につながった。1930年ごろの話だ。この時期にはブリルアンがブリルアンゾーンの概念を提出している。バンド理論はウィルソンによって発展した。ウィルソンはバンド理論によって半導体の性質を説明することに成功した。ウィルソンモデルはその後1930年代をとおしてナトリウムなどの金属に適用され、プリンストンのウィグナーとザイツが発展させた。半導体の研究は大戦中、レーダーのために半導体結晶が必要だったという軍事的な理由から精力的に研究された。半導体に関するもっとも著名な発明は1947年のトランジスタの発明だった。ベル研のショックレー、ブラッデン、バーディーンは表面エネルギー状態の概念を半導体に対して適用することに成功した。3人は1957年にノーベル物理学賞を受賞してる。トランジスタの登場に起爆された半導体物理の急速な発展は固体物理全般の知名度を上昇させた。1950年代までに固体物理は一つのコミュニティとして成立した。1950年当時のアメリカの物理学は核物理学が優勢を占めていたが、1965年までに固体物理は核物理学と比肩するまでに成長した。その成長の背景には半導体産業を中心とする産業界からの大きな資金的援助があった。固体物理の歴史のもっとも顕著なブレークスルーは1957年の超伝導のBCS理論の登場だった。それ以前に多くの物理学者が取り組んだにもかかわらず、超電導現象の理論的な裏付けはすべての物理学者を寄せ付けなかった。ファインマンでさえ超伝導に苦しめられており、彼のBCS理論に対する複雑な態度を生じさせるまでになった。バーディーン、クーパー、シュリーファーは1972年にノーベル物理学賞を得た。バーディーンは物理学賞を2度受賞した唯一の人物だそうだ。ちなみにノーベル賞を2度受賞した人は歴史上4人いて、マリア・キュリーが1903年物理学賞(放射能の研究)、1911年に化学賞(ラジウムポロニウムの研究)を、ライナス・ポーリングが1954年に化学賞(化学結合・分子構造論)、1962年に平和賞(核兵器反対)を、フレデリック・サンガーが1958年(インスリンの構造決定)と1980年(DNAの塩基配列決定)に2度化学賞を受賞している。こちらも化学賞の2回受賞はサンガーだけ。その後高温超電導物質の発見に向けた研究が精力的に行われた。日本企業が工業的応用を見越してかなりの額を支援に費やしたけど、その見通しは結果的には甘かった。


25章はエレクトロニクスの歴史。どちらかというと技術史の話。トランジスタはかなり高価で商業ベースには到底ならないものだったけど、米軍が金に糸目をつけずに買い上げ、研究費を支援した。スプートニクショックの後という時節柄もあったというが、やはり軍事関係による科学研究への影響というのは計り知れない時代があったということだろうな。それの功罪はあるにせよ。デュアルユースは現代でも非常にセンシティブな問題だ。そのあとはメーザー・レーザー開発の歴史について。自分の研究とも関係があるし、今後読み返すこともあるだろう。やはりレーザーも軍事と密接に関係していたようだ。メーザーの理論的貢献をしたタウンズが1964年にノーベル物理学賞を、1981年にショーローがレーザー分光学で物理学賞を受賞した。1981年の同時受賞者のシーグバーンは高分解能光電子分光の人。いつか仕事を勉強することがあるだろうか。