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気候変動と科学と社会

〈書籍メモ〉秋元 肇(2014)大気反応化学 第1章

  • 秋元 肇 (2014) [朝倉化学大系 8] 大気反応化学. 朝倉書店, 432pp.

1 大気化学序説

2 化学反応の基礎

3 大気光化学の基礎

4 大気分子の吸収スペクトルと光分解反応

5 大気中の均一素反応と速度定数

6 大気中の不均一反応と取り込み係数

7 対流圏反応化学

8 成層圏反応化学

 

2014年に出版された大気化学の教科書。おそらくいま日本語で出ている大気化学の教科書のうち、反応化学に関しては最も網羅的だと思う。(あとはひたすら勉強するのみ。)私がこの本の出版予告を最初に見たのはたしか2011年の夏だったような。大気化学に関係する書籍の刊行予定でいえば、共立出版の現代地球科学シリーズからも1冊出るはずなので、これもたのしみ。

1章の『大気化学序説』はこういう流れ。大気化学の歴史的経緯についてまとめてある。

1 大気化学序説

  1.1 近代化学の黎明と大気の化学

  1.2 大気化学への発展

  1.3 大気化学の教科書

 以下はこの1章に関するメモ。

 

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近代化学の黎明期には気体の化学が研究された。近代化学の基礎である質量保存の法則の発見は、ラヴォアジェによる「空気の化学」研究の結果でもあった。化学者が「大気の化学」を意識したのには、オゾンの研究が契機となった。オゾンの性質に関する分光学的な研究を基礎に、太陽光の放射スペクトルの観測結果から大気中に高濃度のオゾンが存在することが推測され、のちに成層圏にオゾンの層が存在することが実証された。

その後大気の化学の研究は、大気中の化学反応の研究へと広がる。著者は、大気反応研究には大きく二つの流れが存在するとみている。地球物理学からの流れと、環境科学・地球化学からの流れである。

著者によれば、地球物理学からの流れはオゾン層形成のメカニズムの研究から始まった。地球物理学者チャップマンは1930年に大気中酸素の光化学反応によって定常的にオゾン層が形成されることを示した*1。その後、1960年から70年代にかけての成層圏の化学反応の研究は、微量成分が関わる大気中の連鎖反応理論の体系化につながった。

一方、環境科学の流れは、産業革命による大気汚染と、18世紀後半のイギリスでの降水の化学分析からはじまったという。著者によれば、こうした大気汚染の研究は、地球科学における降水化学、ガス・エアロゾル化学の研究に引き継がれたが、地球化学のなかで空気化学(air chemistry)は海洋化学・鉱物化学に比べて地味な存在のままだった。

大気微量成分の環境科学、地球化学的な研究は、分析化学的な研究が中心で、大気中の化学反応の研究を大きく発展させることはなかった。これは、成層圏に比べて対流圏は一般には化学的に静的な場と考えられていたことにも起因している。〔p. 4〕

大気汚染研究と大気反応研究は、1940年代のアメリカで問題化した光化学スモッグを契機に関わりを増していく。ハーゲンシュミットは長い間謎だったロサンゼルス型スモッグの正体が汚染大気中の光化学反応で発生する酸化性物質であることを解明した。対流圏大気の化学反応研究は、1960年代から70年代における光化学スモッグの反応機構の研究を契機に急速に発展した。1970年代初期に確立された対流圏におけるOHラジカル連鎖反応理論は、次世代の対流圏化学の基礎理論を提供した。

 

1980年代は「大気の化学 chemistry of the atmosphere」から「大気化学 atmospheric chemistry」への発展の転換期となった。成層圏の化学は地球物理学に、対流圏の化学は大気汚染に関わる環境科学の一分野にそれぞれ属するものとみなされていたものが、1980年代半ば、これらを包括した「大気化学」が地球科学を構成する基礎学問分野として確立した。

 この新しい「大気化学」は、

地球規模での大気微量成分の空間的分布と時間的変動とそれらの生物地球化学循環を明らかにするというシステム科学的側面を持った新しい学問分野 〔p. 5〕

であった。1980年代後半、地球環境への関心の高まりという時代の潮流のなかで、大気化学は人間活動による地球変動を解明する基礎学問として、大気物理学、海洋物理学・化学などと並列に認知されるようになった。

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 〈コメント〉

大気の化学反応に関する研究の歴史で面白いと思うのは、成層圏化学と対流圏化学がある時期までそれぞれ独立に語られることだ。ある研究領域を化学や物理学のような大きなディシプリンに割り振ることをあまり厳密に考えるのは多くの場合不毛なことだと思うけれど、たしかに、成層圏の(おもとしてオゾンの)化学は物理学寄りに、対流圏の化学は化学寄りに、それぞれ研究され始めたというのは妥当な視方だと思う。著者は1980年代に地球システム科学の思想のもとにこのふたつが包括されたとみているが、反応化学以外の視点から見たとき、80年以前に成層圏化学研究と対流圏化学研究とのあいだに学問的な相互作用がなかったのかは個人的に気になるところだ。

それと小話的に面白かったのが、成層圏の化学は地球物理学のなかで基礎学問として扱われたのに、対流圏の化学はあくまで応用化学であって化学の基礎学問とはみなされなかったという話。私は、1950年代、大気中の化学物質を扱う分野を大学の中で新しく「気象化学」教室として立ち上げようとしたら、化学教室から猛抗議にあって「化学気象学」教室という看板にせざるを得なかったという話を思い出した。(化学者のプライドってことかな。)

 

ところで、環境分野の研究では珍しくないことではあるが、大気化学研究の発展の時々に社会問題の解決という学問外からの要請が関係していることは、科学と社会の関係を考えるうえで興味深い。著者は環境科学からの流れの源流として、産業革命に伴うイギリスでの大気汚染を降水化学研究と結びつけているが、実際には降水の化学の研究は農芸化学(すなわち食糧生産増進の要請)からの関心もあったらしい。

また、冷戦下、地球科学研究は米国を中心に国際化がなされていくが、環境汚染への社会的な関心も高まっていく。地域的な環境問題から地球環境問題へとフレーミングが移っていく中で、越境大気汚染、オゾン層破壊、地球温暖化とヘビー級の地球環境問題と大気化学とのかかわりにも興味が惹かれる。私の知る限り、科学史家による大気化学の通史的な書籍はまだ出ていないと思うので*2、ぜひこうした観点を取り入れた科学史を書いてもらえるとうれしい。

 

私が興味を持っている1950年代の北欧の『大気化学』研究とのかかわりでいえば、この『大気化学』の特徴は、おもな推進者が気象力学の研究者であったこと、それゆえに化学物質の循環の物理的なメカニズムに着目していた点にあった。これはanachronismを恐れずに言えば、著者の言う「全体論的学問」*3の先取りと考えられるかもしれないが、いまのところ彼らと50年代当時の大気反応化学との関わりについては勉強できていない。

 

[関連する文献のメモ]


*1:ところで、Chapmanは1951年に出版された論文集のなかで、自身のオゾン研究を"atmospheric chemistry"と呼んでいる。これは同論文集に収められているHans Cauerの論文に触発されたものと思われる。Cauerはどうやら学術的な場で"atmospheric chemistry"という語を最初に使った人。Cauerの論文の題名は"Some problems of atmospheric chemistry"。

*2:越境大気汚染、オゾン層破壊、地球温暖化それぞれについては、膨大な数の科学論の研究書があるのだが。

*3:p.5