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気候変動と科学と社会

〈書籍メモ〉The Creation of Global Imaginaries: The Antarctic Ozone Hole and the Isoline Tradition in the Atmospheric Sciences

  • Sebastian Grevsmühl, 2014, The Creation of Global Imaginaries: The Antarctic Ozone Hole and the Isoline Tradition in the Atmospheric Sciences, in Birgit Schneider and Thomas Nocke (eds.), Image Politics of Climate Change, Transcript Verlag, pp.29-53

Introduction

The British Discovery of Ozone Depletion

The American Context of Space-Based Environmental Monitoring

Lessons which may be learnt from the Ozone Depletion discovery

The Ozone Hole Visualization

The Isoline Tradition in History of Cartography

The Visual Construction of The Ozone Hole

Conclusion

 

〈私の要約〉

南極成層圏のオゾンはイギリスとアメリカのグループによって研究されていた。イギリスBASは小規模ながら独自の基準に基づいた地上観測を行い、頑強で信頼性の高いデータを得ていた。アメリカNASAは観測衛星を用い、宇宙からオゾンデータを観測していた。1985年に、南極のオゾン量が減少していることを最初に*1世界的に発表したのはBASだった。南極オゾンの観測はIGY以来観測ネットワークが存在したのだが、皮肉なことに、BASの成功の理由は独自のスタイルを貫いたことだった。NASAはデータ取得のプログラムの設定のために、データ処理の際に通常より低い観測データを除去してしまっており、データセット中の低いオゾン量に気付いて再計算結果を発表したのはBASの発表の数か月後だった。
南極成層圏のオゾン破壊問題の象徴的なイメージは「オゾンホール」だ。この穴を文字通り形作っているのは観測されたオゾン量の等値線である。等値線は地図との関係が深い。歴史を振り返ると、初めての等値線(ここではつまり、等高線のこと)をもちいた科学的な地図がつくられたのが16世紀で、われわれが今日見る地図は1760年ごろに導入された。科学史的にも重要なのは1817年にアレクサンダー・フォン・フンボルトによってなされた等温線の発明で、グローバルなスケールの平均温度分布を示した。古典気候学にとって等値線は重要な道具となり、気象学的因数の平均値を計算して空間的に表した。
NASAによる「オゾンホール」のイメージの最も重要な側面は、グローバルなイメージを抱かせる力で、これはかつてハーレー、フンボルトガウスが行ったことと同じことだ。この心象性(imaginability)によって、グラフィックツールとしての等値線は歴史的に重要な役割を果たした。一方で、等値線は測定の連続性の幻想を生じさせ、またその作成プロセスを覆い隠してしまう。ゆえに等値線は非常に強力でありながら、同時に疑わしいアイコンでもある。
逆説的なことに、BASはオゾンの減少を発見できたが、「オゾンホール」を見つけることはできなかった。NASAは地図と等値線を組み合わせ、「オゾンホール」として見せることで、比較的局地的な現象をグローバルな環境リスクとして伝えることに成功した。「オゾンホール」の画像は視覚的なわかりやすさだけではなく、メタファーとしての「穴」のもつ形而上的な力も備えている。
オゾン層破壊問題についての公的な議論の進展は、科学的なコンセンサスが得られる前に起こった。かなりの科学的な不確実性がありながら、メタファーは政治空間での警告的な議論の形成に寄与し、これは1987年のモントリオール議定書の締結につながった。実際、科学的なコンセンサスが得られる根拠となったAAOEの結果はモントリオール議定書の調印後に発表された。政治学者ハースによれば、オゾン層破壊問題における、この予防原則的な政治行動は認識共同体の形成と活動の直接の結果として説明できる。BASの信頼性の高いデータとNASAによる総観的データとを組み合わせることで、インフラストラクチュアルな知識は政治行動の重要な基盤となった。
クライメートゲート以降、気候レジームにおいても、専門的なグラフや気候モデルはオゾンの場合のようなサクセスストーリーを求めている。しかしオゾン層破壊の例を気候変動問題に適用することがいまいちうまくいかないのは、オゾン層問題の複雑性を過小評価し、問題を単純化しすぎているからではないか。われわれはグローバルな環境リスクの複雑性を理解するスタート地点に立ったばかりなのである。

 

〈感想〉

 オゾン層破壊問題と「オゾンホール」のイメージに関する論文。

 オゾンホールのイメージの等値線に着目しているのは面白いが、等値線と大気科学の歴史についての記述はあんまり詳しくない*2。気象学で等値線といえば、気象学プロパーでない私には地上天気図の等圧線がまず思い浮かぶ。高層天気図では等高線や等温線が用いられるし、鉛直解析図では等風速線も使われる。等飽和混合比線、等相当温位線もある。このように大気科学*3において等値線は多用されるし、その歴史を詳しく論じるととても面白そうなので、ぜひこのトピックに絞って論文にしてほしい*4

イギリスとアメリカの研究グループの対比は興味深かった。

著者の指摘で私が重要だと思ったのは、等値線の使用が図中のデータが均一であるとの印象を与え、プロットの作成プロセスを覆い隠してしまうために、データの信頼性について誤った印象を与える恐れがあるというもので、これは不確実性のコミュニケーションにおいても指摘されている点でもある。

個人的にオゾン層問題で最も興味深いのは、オゾン破壊の原因とされたCFCsの規制への国際政治的な動きが科学的コンセンサスが得られる以前に急速に進展し、モントリオール議定書の調印として結実した点だと思う。著者はこれに関してハースの認識共同体による説明を引いているが、この論文ではオゾンホールのイメージが認識共同体の形成や活動の基礎になったことを示すにはちょっと論証が薄い気がした。

全般的に興味深い論点が散見されるが、いまいちつっこんだ議論をしていない印象を受けた。私の読みこみが足りないだけのような気もする。

*1:著者による注釈として、日本の気象庁の忠鉢繁による南極成層圏オゾン減少の報告(1984)についても説明されているが、著者によると、この報告はこの件に関する初めての報告でありながら、観測が8か月間のデータだったこと、および掲載されたジャーナルがメジャーなものではなかったために、関心を集めることができなかったと説明している。

*2:この論文で触れられたところと似たような内容はEdwards(2010)でも触れられている。

*3:私が挙げた例は気象学における実践とのかかわりが深いものたちだが、気候学においても、フンボルトの伝統を受け継いで、フォン・ハンが統計的気候学を基礎づけている。このときにも等値線は大きな役割をはたしたのではないかと思う。

*4:今回の企画は気候変動が主題なので、そうはいかなかったのだろうと思うけど