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気候変動と科学と社会

2016年読んだ本から10冊

・2016年読んだ本から10冊

  1. ポパーウィトゲンシュタインとのあいだで交わされた世上名高い一〇分間の大激論の謎/ ちくま学芸文庫 (2016)
  2. 街の人生/ 勁草書房 (2014)
  3. リヴァイアサンと空気ポンプ――ホッブズ、ボイル、実験的生活/ 名古屋大学出版会 (2016)
  4. プロパテント政策と大学/ 世界思想社 (2007)
  5. 見えないものをみる――ナノワールドと量子力学/ 東京大学出版会 (2008)
  6. 医学の歴史/ 丸善出版 (2015)
  7. メディアは環境問題をどう伝えきてきたのか――公害・地球温暖化生物多様性/ ミネルヴァ書房 (2015)
  8. きのう何食べた?(1)-(11)/ 講談社 (2007-2015)
  9. 職業としての小説家/ 新潮文庫 (2016)
  10. やがて哀しき外国語/ 講談社文庫 (1997)


短評。1.は2人の著名な哲学者の評伝を、有名な事件の謎解きという形で構成したもの。評伝としてはもちろん、哲学史としても、ナチス・ユダヤ問題についての読み物としても優れており、ページを繰る手が止まらなかった。2.は社会学者による生活史の記述。名のない人の人生が豊かに語られており、ずっと聞いていたいと思わせる。3.は今年邦訳が出た科学史の最重要文献。さすがに手強いが、研究上のインスピレーションを各所で与えてくれる、含蓄に富む1冊。4.の主題は戦後アメリカの知財政策史であるが、科学技術政策史とも読める。非常によくまとまっており、20世紀科学技術史の参考文献となる。5.は量子力学を実験的なアプローチから説明するもの。題材として表面物理関係が多かったという点で興味を引いたが、理学概説書としてはまれなほど読み物として優れている。6.はOxford Univ Press Very Short Introductionsの1冊の邦訳。医学史全体の中から、大胆な分類が採用され、本書の構成自体が科学史のアプローチとして興味深い。7.は地球環境問題に関するメディア研究についての専門書。優れた論文集であり、この分野の最近の研究動向を把握するのに有用。8.はいわゆる「料理マンガ」のなかの人気シリーズ。安定感抜群で読んでいて心地よいが、ところどころ読者に深い思考を促す場面もある。9.と10.はいずれも作家・村上春樹によるエッセイ集。著者の小説にはあまり明るくないが、すくなくとも優れたエッセイの書き手として深く信頼している。

〈メモ〉カリフォルニア大学出版部e-Bookコレクション

先日Twitterで、カリフォルニア大学出版部[Univeirsity of California Press]のe-Bookコレクション(1982-2004)のうち一部が公開されていることを知った。

 

公開されているe-Bookのなかで自分の興味を引いたものをメモとしてまとめておく。

 

[Environmental Studies]

 

[Sociology]

 

[History and Philosophy of Science]

 

[海洋科学の歴史に関するもの]

 

〈メモ〉19世紀アメリカの気象観測事業と米国特許庁

19世紀、観測装置を用いた定期的な気象要素の観測という営みはすでに先進的な国の人々のあいだで普及していた。19世紀中ごろまでには、各国で実用的な理由のために組織的な気象観測システムの立ち上げの動きが現れ始めた*1。気象災害の早期警告や気象予報の実現にとって、空間的に大きなスケールでの気象データは不可欠だった。こうしたデータの収集には標準化された気象観測と情報伝達が必要となるが、それは個人的な観測の営みを超えて、より大きく体系化された観測システムが必要だった。

アメリカにおいても、19世紀のはじめごろからさまざまな機関が気象観測の体系化を試み始めた。1817年、公有地管理局 [Land Office]が、各地の支局で1日3回の系統的な観測を始めた。1819年には陸軍医務局 [Army Medical Department]が各地の拠点で観測を開始した。その後もいくつかの州で組織的な観測の試みがなされた*2。こうした気象観測の体系化にとって重要だった出来事は電信という新たな情報伝達技術の登場だった。

1846年に初代スミソニアン協会長官 [Secretary of the Smithsonian Institution]の任に就いたジョセフ・ヘンリー [Joseph Henry]は当時アメリカの気象学者の間で議論になっていたストームの問題に関心を持ち、電信を用いてアメリカの国土に広範な気象観測網を築くという構想を練っていた。1848年、各地で散発的に行われていたアメリカの気象観測はスミソニアン協会によって統合され、アメリカ全土に観測網が展開された。スミソニアンは陸・海軍や沿岸測量局 [Coast Survey]などのさまざまな政府機関と協力したが、その中のひとつに特許庁 [US Patent Office]があった*3

特許局は特に、1855年から1860年までの間スミソニアンの気象観測業務を公式に支援し、協力した*4*5。しかしなぜ特許庁が?

実は、特許庁自身も1841年に自前の組織的な観測をはじめていた*6。というのも、1839年に特許庁内に農務部門が設立されてから、農業向けの統計業務は特許庁が担っていたのだ。特許庁は毎年農業統計に関する報告書を出していたのだが、スミソニアンの持つ広範囲の気象情報が得られると都合が良かった*7。当時、観測によって得られた気象・気候情報の主な需要者は農業や公衆衛生に利害関心を持つ人たちで、農業気候学あるいは衛生気候学といった応用気候学が気象観測の推進の背景にあった。

その後、特許庁農務部門は1862年に農務省として独立した。とはいえそのトップが閣僚級 [cabinet level]に昇格したのは1889年のことだ。

さてスミソニアン協会が取りまとめた気象業務の機能は1861年以降南北戦争によって苦境に立たされた。この事業はその後陸軍通信部 [Army Signal Service]を経て、1891年に農務省に移管され、気象局 [US Weather Bureau]となった*8

アメリカの気象観測と特許庁には以上のような因縁があったというわけだ。ちなみに、後継組織であるPatent and Trademark Officeも、National Weather Serviceも、現在は商務省のもとにある。


最後に、話の本筋からは少々逸れるが、関連して興味深い裏話がある。

1855年、ヘンリーが当時の特許庁長官 [Commissioner of Patents]チャールズ・メイソン [Charles Mason]に支援を依頼した際、特許庁側はヘンリーにある条件を提示したようなのだ。それは特許庁内に置かれていたナショナル・インスティテュートのコレクションをスミソニアンに移転することだった*9。これはヘンリーにとって苦渋の選択だった。じつはこのコレクションの移転をきっかけにして、1858年スミソニアン国立博物館が設立されることになるのだ(周知のとおり、現在ではスミソニアン協会は世界最大規模の博物館・研究機関複合体である!)。

しかしながら、ヘンリーにとってスミソニアンを博物館にすることは彼の意思に反することだった。なぜなら当時のアメリカを代表する物理学者であったヘンリーはアメリカの科学研究をヨーロッパのそれに比肩するものにしたいと願っており、スミソニアンは博物館ではなく科学研究機関であるべきだと考えていたからだ*10。しかし結局、ヘンリーは彼の気象観測網構想の実現のためにしぶしぶ同意したのだった。

 

〈Reference〉

*1:Fleming (1997)

*2:Weber (1922) p. 2

*3:財部 (2016) p. 288

*4:Smithsonian Institution Archives: Joseph Henry A Life in Science; Meterology

*5:Smithsonian Institution Archives: Patent Office Ends Partnership with Smithsonian on Meteorological Program

*6:Weber (1922) p. 2

*7:Smithsonian Institution Archives:Patent Office Partners with Smithsonian on Meteorological Program

*8:Glahn (2012)

*9:Rothenberg

*10:高橋 (2007) pp. 295-296